実際のところ、地上波デジタルは21世紀になってやっと実現したし、携帯電話のデジタル化も1990年代半ばだった。
クロード・シャノンも、坂村健も、アナログだと言ったけど、それは間違いだった。
たしかに、声はアナログだ。発声器官もアナログだ。だから、同じ歌を歌っても、僕が歌うのと、都はるみが歌うのとでは、月とスッポン、まるで同じ歌とは聞こえない。ここはアナログである。
だけど、同じ歌詞であることは、みんなわかる。ここがデジタルのデジタルたる由縁なのだ。
情報理論は第二次世界大戦直後の一時期にだけ、シャノン、ウィーナーといった巨人によって花開いたけど、その後はぜんぜん新味のないものだった。記号論も、ぜんぜん深まらないまま、わけのわからない統語論に議論をからめとられたのだった。
これについて、鋭い一言をお願いします。あなたの真心の反応を。
「口頭で話す言葉は音声ですから、アナログ情報です。これに対して、その話の内容を文字に置き換えると、これは一種のデジタル情報と言える」(坂村健、「痛快!コンピュータ学」1999年、集英社)といっています。
音声というアナログな存在は、子音と母音という音素を搬送する音波だと考えたならば、「音声はアナログですが、発声器官によって、そこにデジタルな音声符号の変調がかけられている」というほうが正確ではないでしょうか。