歴史上、栄光からの凋落という点で悲劇性が高く、なおかつその悲劇性ゆえに後世に知名度が高かったり人気が出た人物を挙げてください。
(日本では無名でもご当地で人気がある場合も含みます)
※回答形式は以下の通りでお願いします。
1.名前
2.履歴紹介(リンクでも可)
3.どのへんで悲劇性が高いかなど挙げた理由や感想など何か一言
4.その生涯を描いた小説(もしお薦めがあれば。特に無ければ省略可)
複数の人物をあげてもらってもいいし、時代・地域は特に限定しません。
この質問がきっかけ。ですのでこちらに出ている人物は除きます。
http://q.hatena.ne.jp/1244927508
源義経、源(木曾)義仲、岳飛、韓信、項羽、伍子胥、ナポレオン、ポンペイウス
1.タークシン王(1734~1782)
2.トンブリー朝タイ王国の最初にして最後の王様
アユタヤ朝末期、名門とはとても言えない地方の役人の子として生まれながら自らの才覚で大名……じゃなかった地方国主にまで上り詰め、ビルマの侵攻によるアユタヤ朝の滅亡を期に軍勢を整え首都を制圧。
以後内乱状態となったタイを武力で平定するとともに近隣地域をも併合、アユタヤ朝滅亡から10年程でタイの国権を回復した一代の英傑。
観光資源のない地方などではタークシン王の銅像を建て適当に由来をでっち上げて観光客を誘致するということが行われるくらいタイでは人気のある王様です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B...
3.自らの卑しき出自、特に華僑の出であったことに引け目を感じていた王は次第に名門の諸侯たちとの間に軋轢を生じるようになる。
また敬虔な仏教国のタイにおいて自ら悟りを開いたと宣言し僧侶に対して跪拝を強要するなど「奇行」が目立つようになり民衆からの支持も失っていった。
そして右腕ともいえる武将が遠征中にクーデターが勃発し王は幽閉される。
クーデター自体は急遽引き返した武将により制圧されるが民衆は王の処刑を望んだ。
武将はこれを受け入れ王を処刑し、諸侯や民衆の支持を受け王位に付いたという。
ただ王の「奇行」には陰謀論じみた異説が存在するが現王朝の創設期の話なのでイロイロと難儀。
4.知らない。タイにはあるかも知れないけど日本語で存在してるとは思えないなぁ。
1.マイケル・コリンズ(1890~1922)
2.アイルランドを独立に導いた稀代のテロリスト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%A...(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)
3.闘争の末にイギリスからの独立を勝ち取ったアイルランド、だがそれは英国国王を君主と仰ぐ自治国としてであり北アイルランドの領有も認められない理想とはほど遠いものだった。
結果、独立条約賛成派と反対派が対立し内戦へと発展する。コリンズは生まれたばかりのアイルランド自由国を守るためかつての盟友たちとの戦いを指揮することとなった。
そして内戦の最中、コリンズは反対派のテロにより暗殺された。
若き英雄は早すぎる死により殉教者となってアイルランドの歴史に刻まれるのでありました。
4.『マイケル・コリンズ』っていうなんのひねりもないタイトルの映画が有ることは知ってるけど小説は知らないなぁ。
1.モハンマド・モサデク(1882~1967)
2.パフラヴィー朝イラン王国のデモクラシー期に民意により選ばれた首相、他の産油国より低い利益配分率に抑えられた現状を打破するべく油田の国有化を行った
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9...
3.油田の国有化に対し英国はイラン石油を市場から締め出した、これにより経済的な打撃を被ったイランはソ連に接近する。
当初は中立的な立場にいたアメリカだったがイランのソ連接近に態度を急変、民主主義の台頭に脅威を感じていた国王をそそのかしCIA主導の下クーデターを実行させた。
経済的な混乱から民衆の支持を失っていたモサデク政権はこれにより瓦解、以後モサデクは死亡するまでの3年間獄中で過ごすこととなる。
エジプトやキューバ、ベトナムなど社会主義的な傾向はあったにせよ必ずしもアカとは言えない主導者が歴史的、民族主義的経緯から西側と対立し東側に組したのはこの時期よくあった悲劇
4.知らない。イランに(ry
1.菅原道真
3.右大臣にまでのぼりつめるが、左大臣・藤原時平の讒言により太宰府に左遷、病死したところ。
今日、学問の神様として、受験前には必ずお参りする天神様の総本山、太宰府天満宮。ところが、実際の太宰府は都府楼跡に見られるように、荒涼とした有様――有名大学を卒業して一流企業に就職、ところが中年になると「左遷」という憂き目にあうサラリーマンの悲哀を感じさせます。
4.とくになし。
あー確かにこの人はありますね。
前に日記で書きました。
>有名大学を卒業して一流企業に就職、ところが中年になると「左遷」という憂き目にあうサラリーマンの悲哀を感じさせます。
学者気質でその識見によってトントン拍子で出世するも、最大派閥グループに妬まれ失脚させられたイメージですね。
しかし、その後たまたま連続した不幸が贖罪意識(?)から当人の怨念のせいにされて、怨霊信仰⇒神様として祀られるとは本人も思ってみなかったでしょうかね。
1.織田信長
2.http://www.sengoku-expo.net/person/J/055.html
3.武田家を滅ぼし、ついに天下をほぼ手中にしたといって良いタイミングで、寝返りに合い死ぬ……
まさに栄光からの凋落というイメージですね。
4.信長公記
1.武田勝頼
2.http://oniheru.fc2web.com/jinbutsu/takeda_katsuyori.htm
3.四男でありながら、諸々の事情で武田家を継ぐ幸運(?)を得て、父・信玄以上に勢力図を広げる。
しかし、時勢に恵まれず、結局は名門・武田家を滅亡させた当主として、後世に名を残す形に。
4.武田勝頼(新田次郎)
織田信長は、もちろん本能寺の悲劇がなくとも、それなりに後世に名は残したと思います。
ですが、本能寺という劇的な出来事があったからこそ、現代でも大いに人気を博し、魅力を持たれていると思います。
武田勝頼は、お題にあまりそぐわない気もしましたが、好きなので書いてみました。
父・信玄の人気や評価が高すぎて、現代でもその尻ぬぐい的な部分まで、勝頼に押しつけられている部分も多いと感じます。
武田滅亡の当主としてだけではなく、その辺りの周知がされてくると、今回のお題に近い形の意味で、
運命の悪戯で、武田家を継いだことによって生まれた悲劇性というものが、さらに周知されてくるかなと思います。
織田信長といえば、下天のうちをくらぶれば・・・の「敦盛」ですが、桶狭間の戦いと本能寺のシーンでよく謡われるイメージ。後世の創作も入っていますが、激しさと儚さを象徴しているというか。そこらへんの特殊性も人気の一つと言っていいかもしれません。
あっけなさ過ぎるけど、まさに日本を代表する「栄光からの凋落」人物ではありますね。
>父・信玄の人気や評価が高すぎて、現代でもその尻ぬぐい的な部分まで、勝頼に押しつけられている部分も多いと感じます。
うーん、確かに結果的に家を滅ぼす形になってしまいましたが、本人の能力以外の巡り合わせの悪さがありましょうかねぇ。悲劇的ではあるけれど、人気という面では微妙かな。
ちなみに菅原道真の時の例で言えば、偉大すぎる先代の跡を継いだ老舗の若社長が、一回り上の重役連中とそりが合わなくて、見返すために強気の勝負に出たら、新興企業連合の前に敗れたみたいな。
個人的好みでローマ史から悲劇の皇帝を推挙します。
1.名前
ユリアヌス
西洋では「背教者」ユリアヌスで知名度が高いです。
2.履歴
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%A...
3.悲劇性
コンスタンティヌス1世がキリスト教をローマの国教と定めて、流れはキリスト教徒の時代になりつつあった。そんな中で、古代の異教の復興をかかげ、しかも帝国臣民のために労苦をいとわぬ、哲学者皇帝が一瞬、帝国史に光芒を放つ。帝の短くも壮麗な治世は衰退する帝国にローマの最後の栄光をもたらした。
4.お勧め小説
辻邦夫「背教者ユリアヌス」
でも、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」第四巻の記述は圧巻です。
おお、世界史の人物は範囲が広くてあまり知らないので、紹介してもらえるとありがたいです。
文庫版『ローマ人の物語』は読み続けているのですが、まだそこまでいっていないし。
履歴を見るとなにかと興味深い人物ですね。
この人が若くして死なず、その宗教政策が定着したかどうかでその後のヨーロッパの歴史が変わったかもしれない。
『背教者ユリアヌス』は以前知りましたが未読でした。これは読んでみたいですね。
女性もOKですかね?
1.マリー・アントワネット
3.オーストリア皇帝マリア・テレジアの娘として生を受け、ルイ16世と政略結婚。王妃となるが、すでに火の車になっていたフランス王室では彼女の浪費癖を支えきれず、フランス革命が起きた。
飢餓に陥って反乱を起こしている民衆に向かい、「パンがなければケーキを食べればいいのに」と言ったとか。
革命後、ギロチンで処刑される。
死後20年以上を経て母マリア・テレジアに届いた遺書には、「犯罪者にとって死刑は恥ずべきものだが、無実の罪で断頭台に送られるなら恥ずべきものではない」と記されていた。
4.ベルサイユのばら(池田理代子)
はい、女性大歓迎です。あ、回答でっていう意味ですよ(笑)
マリー・アントワネットは日本人が知るフランス人の大本命でしょうね。
「パンが・・・」の言葉は創作らしいですが、それでも本人が言ったことになるほど有名だったのでしょうな。
http://tisen.jp/tisenwiki/index.php?%A5%DE%A5%EA%A1%BC%A1%A6%A5%...
1.名前
ジャンヌ・ダルク
2.履歴
百年戦争でフランスの勝利に貢献した少女。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8...
3.悲劇性
戦果をあげ、フランス国王に信頼されるが、政治に翻弄されて、不利な戦いを強いられる。
捕縛されて、異端者へと落とされ、最期を向かえる。
ピュアゆえに、現実を乗り切れなかったのでしょうか。
4.お勧め小説
小説では、特になしです。
映画では、リュック・ベッソンの『ジャンヌ・ダルク』が、けっこう迫力ありました。(フランス人が英語ペラペラなのが、ちょっと気になりますが。)
なるほど、マリー・アントワネットと並んでフランスの有名人・ジャンヌ・ダルク。
この人が歴史の舞台に登場したのはほんの短い間だったのに、栄光と凋落の落差は激しいですね。なんせ神の使いから異端扱いだから。しかしその伝説は後世に大いに影響与えたもの。
かなり独自解釈入っていますが、私は佐藤賢一の『傭兵ピエール』のジャンヌ・ダルクが印象に残っています。
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_gw_0_2?__mk_ja_JP=%83J%83%5E...
1.徳川斉昭
2.水戸藩の藩政改革に奔走したり幕政に参加したりした。なお、最後の将軍・慶喜の実父。
3.井伊直弼と対立し安政の大獄で幽閉の身となったまま死去。
1.坂本龍馬
2.薩長同盟の締結など討幕派を結束させる。
3.大政奉還後に暗殺される。
1.張飛
2.劉備の義弟として活躍する。
3.部下に討たれる。
1.関羽
2.張飛と同じく劉備の義弟として活躍する。
3.呉の罠に掛かり討たれる。
1.平将門
2.関東で乱を起こし「新皇」を名乗るまで至る。
3.討伐される。しかし将門を祀る神社は各地にある。
1.鶴姫
2.大三島の姫で、自らも戦に参加。
3.恋人が戦死してしまったことを知り自らも命を絶ったという。
4.http://www.ehime-iinet.or.jp/oomisima/miru/oo_houmotsu.html
(健在の人でまだ評価は分かれますが)
1.田中均
2.北朝鮮と水面下の交渉を進め、小泉首相の北朝鮮訪問を実現し拉致被害者をある程度救うことにも成功。
3.安倍晋三元首相らの売名行為に利用され売国奴の汚名を着せられテロ未遂の被害にまで遭う。外務省からも事実上追い出される。
たくさんの人物ありがとうございます。
なるほど、この人は盲点でした。一橋派の重鎮として幕政に関与しながら典型的な権力争いの敗者といった感じですね。
うーん、唐突な死ではあるものの、ちょっと悲劇の人物としては弱い気がしますねぇ。幕末は若くして斃れた志士たちが大勢いる中で、ともあれ大望を成し遂げたわけですから。もっと長生きしていたらどんなことをしていたかは気になりますが。
部下に恨みを買って殺された張飛、戦の仕方が拙くて敗戦を招いて死んだ関羽。
それぞれ納得のいかない最後ではありましょうが、自業自得な面が強い気がしますが・・・(個人的には決して嫌いではないです)。
この人は、関東の覇者としての栄光からの凋落としては充分かもしれませんね。
でも関東における怨霊としての将門伝説と英雄としての俵藤太(藤原秀郷)伝説が並び立つのがちょっと不思議な気がします。
この人は知りませんでした。
女性城主が城を守り奮戦して敵を撃退する話は戦国時代はいくつかありますね。ということはそれなりに才能と責任感、そして人望があったということだと思いますが、勝利していながら兄や恋人の死をはかなんで自殺するのがちょっと不思議な気がします。
うーん、現代のまだ存命の人物はちょっと評価は避けます。
1.ニコラ・テスラ
2.http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%B...
3.かのエジソンとの感情的な対立の果て、交流発電機の発明という歴史的な快挙よりは静電気の稲妻の中で読書するようなエキセントリックな人というイメージが定着してしまった。
エジソンは交流電流の危険性を喧伝するために電気椅子を発案するということまでしたらしいですね。
彼の場合、死後の評価もエキセントリックな方向にぶれており、近年ではオーム真理教が彼の技術を応用した兵器を開発しようとしていたエピソードが紹介されたことは記憶に新しい。
まあ、自らの言動や演出でそういうイメージが定着しちゃった面もあるので自業自得と言えなくもないけど。
4.「発明超人ニコラ・テスラ」 新戸雅幸
エジソンと違って、真っ当な評価を得ることなく不遇の人生を送ってしまった奇人(褒め言葉)ですね。こういう人は嫌いではないです。
天才には奇人が多いと言いますが、なかでもこの人は一般人には極めて理解されにくい性質だったような。
1.チャールズ・エドワード・スチュアート(ボニー・プリンス・チャーリー)
2.http://www.purple.dti.ne.jp/Jadehall_index/Scots_Bonnie1Feb05.ht...
3.スコットランド王国王位継承者として、祖国復興のためイギリスに戦いを挑む。当初は順調に勝ち進むも、カローデンの戦いで大敗し、辛くも逃げ延びる。イギリス軍は彼の首に賞金をかけるなどして執拗に追跡。チャールズは、ときには支援者にかくまわれ、ときには女装するなどしてスコットランドを転々としながら逃避行を送る。スコットランドでは今なお絶大な人気を誇る、スコットランド版源義経みたいな人物。
4.特に日本で出ている小説はないと思います。
あれですかね。スコットランドを日本の奥州と見立てると、なぜチャールズ・エドワード・スチュアートが匿われながら抵抗を続けられたのかがわかるのかもしれないです。
まぁプロテスタント(イングランド)対カトリック(フランス)という構図もあったのかな。
履歴をよく知らない人物だったので、他にもいくつかページを見ましたが、現代イギリスでは単なる王位僭称であっても、地元スコットランドにおいては今でも悲劇の英雄なんですね。
1 小松帯刀
2 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E6%B8%85%E5%BB%8...
3
鹿児島生まれ。幕末の志士。父は薩摩国喜入の領主肝付兼善、母は島津久貫の娘で、小松清猷の養子となり、藩 主島津斉彬の小姓となる。その後、藩政改革派として藩政に携わり、家老となる。慶応2年(1866)1月、西郷隆盛 とともに木戸孝允らとの間で薩長連合を締結。3年(1867)10月、将軍徳川慶喜に大政奉還を進言した。明治元年(1 868)総裁局顧問に就任するなど新政府で重きをなすが、2年(1869)5月、病気のため官を辞した。
このように将来を嘱望されながら、若くして亡くなっています。
4 http://www.amazon.co.jp/%E9%BE%8D%E9%A6%AC%E3%82%92%E8%B6%85%E3%...
「将来を嘱望されながら、若くして亡くなっています」というのはちょっと違うかと。
同じ薩摩出身ならば、西郷隆盛の方が最後は悲劇的ではありますよね。
1.タークシン王(1734~1782)
2.トンブリー朝タイ王国の最初にして最後の王様
アユタヤ朝末期、名門とはとても言えない地方の役人の子として生まれながら自らの才覚で大名……じゃなかった地方国主にまで上り詰め、ビルマの侵攻によるアユタヤ朝の滅亡を期に軍勢を整え首都を制圧。
以後内乱状態となったタイを武力で平定するとともに近隣地域をも併合、アユタヤ朝滅亡から10年程でタイの国権を回復した一代の英傑。
観光資源のない地方などではタークシン王の銅像を建て適当に由来をでっち上げて観光客を誘致するということが行われるくらいタイでは人気のある王様です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B...
3.自らの卑しき出自、特に華僑の出であったことに引け目を感じていた王は次第に名門の諸侯たちとの間に軋轢を生じるようになる。
また敬虔な仏教国のタイにおいて自ら悟りを開いたと宣言し僧侶に対して跪拝を強要するなど「奇行」が目立つようになり民衆からの支持も失っていった。
そして右腕ともいえる武将が遠征中にクーデターが勃発し王は幽閉される。
クーデター自体は急遽引き返した武将により制圧されるが民衆は王の処刑を望んだ。
武将はこれを受け入れ王を処刑し、諸侯や民衆の支持を受け王位に付いたという。
ただ王の「奇行」には陰謀論じみた異説が存在するが現王朝の創設期の話なのでイロイロと難儀。
4.知らない。タイにはあるかも知れないけど日本語で存在してるとは思えないなぁ。
1.マイケル・コリンズ(1890~1922)
2.アイルランドを独立に導いた稀代のテロリスト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%A...(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)
3.闘争の末にイギリスからの独立を勝ち取ったアイルランド、だがそれは英国国王を君主と仰ぐ自治国としてであり北アイルランドの領有も認められない理想とはほど遠いものだった。
結果、独立条約賛成派と反対派が対立し内戦へと発展する。コリンズは生まれたばかりのアイルランド自由国を守るためかつての盟友たちとの戦いを指揮することとなった。
そして内戦の最中、コリンズは反対派のテロにより暗殺された。
若き英雄は早すぎる死により殉教者となってアイルランドの歴史に刻まれるのでありました。
4.『マイケル・コリンズ』っていうなんのひねりもないタイトルの映画が有ることは知ってるけど小説は知らないなぁ。
1.モハンマド・モサデク(1882~1967)
2.パフラヴィー朝イラン王国のデモクラシー期に民意により選ばれた首相、他の産油国より低い利益配分率に抑えられた現状を打破するべく油田の国有化を行った
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9...
3.油田の国有化に対し英国はイラン石油を市場から締め出した、これにより経済的な打撃を被ったイランはソ連に接近する。
当初は中立的な立場にいたアメリカだったがイランのソ連接近に態度を急変、民主主義の台頭に脅威を感じていた国王をそそのかしCIA主導の下クーデターを実行させた。
経済的な混乱から民衆の支持を失っていたモサデク政権はこれにより瓦解、以後モサデクは死亡するまでの3年間獄中で過ごすこととなる。
エジプトやキューバ、ベトナムなど社会主義的な傾向はあったにせよ必ずしもアカとは言えない主導者が歴史的、民族主義的経緯から西側と対立し東側に組したのはこの時期よくあった悲劇
4.知らない。イランに(ry
返信遅くなってすみません。
いやぁ渋いところを持ってきてくれました。大感謝です。
東南アジアの歴史ってのはまったく知らないです。戦国時代末期に日本人があちらに渡って町を作ったり太平洋戦争で暴れたりしたくらいで、あまり歴史上の交流がなかったせいもあるんかな。
タークシン王というのは日本でいうと秀吉っぽいですね。晩年におかしくなるところとか。一代で分裂していた国を統合した英傑でありながら処刑の憂き目に遭うなんて、まさに栄光からの凋落という言葉が似合いますね。
一見平凡そうな人物にしてその30余年の生涯は波乱に満ちていますね。テロリストでありながらアイルランド独立のために奔走した政治家。生まれた環境が違っていたら、その財務・政略などの才能によって全く違う活躍をしたかもしれない。
歴史的人物の素材として面白い人物だと思いますし、実際に映画化もされているようですが、日本で和訳された小説が無いのはやはり今なお政治的に微妙だからでしょうかね。
うーむ。石油という利権があるだけに中東の国は舵取りが難しいですなぁ。イラクのフセインにしても西側の見方では大悪人だしこの人もそんな感じ。自国の利益を優先した結果が欧米の反感を買ったという。ちょっとケースは違いますが似たような話はどこかの国でもあったようで。
エジプトやキューバ、ベトナムなど社会主義的な傾向はあったにせよ必ずしもアカとは言えない主導者が歴史的、民族主義的経緯から西側と対立し東側に組したのはこの時期よくあった悲劇
まさに歴史は正義と悪で割り切れるような単純なものではないということですね。
世界史の中にはまだまだ知らない人物・出来事が多いものだと思い知らされました。
1. 伴善男 (日本)
2. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%B4%E5%96%84%E7%94%B7
3. 真の犯人は誰かわからない応天門事件で放火の嫌疑をかけられ失脚
4. 「伴大納言絵巻」
1. 藤原信西(日本)
2. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E8%A5%BF
3. 保元の乱で、崇徳上皇、藤原信長、源為義連合軍を破るも、平治の乱で藤原信頼、源義朝連合軍に敗れる
4. 「保元物語」「平治物語絵巻」
1. 玄宗皇帝(中国)
2. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%8F%B2%E3%81%AE%E4%B9%B...
3. 皇帝にして詩人。楊貴妃との愛に溺れ部下の安禄山に国を奪われる
4. 「資治通鑑」
1. ロベスピエール (フランス)
2. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%9...
3. ルソー中心のジャコバン派の一員。フランス革命で名をはせるも、その後反動勢力により処刑。
4. N/A
1. 吉田東洋(日本)
2. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%B1%E6%B4%8...
3. 山内容堂公の側近。尊王攘夷派の土佐勤皇党に恨まれ暗殺。
4. N/A
日中欧に渡ってのチョイスは意外な人物もいますね。
伴氏(大伴氏)の極官をきわめた直後に策士、策に溺れると言った感じで失脚。相手が悪かったのでしょうか。ウィキペディアの記事などではあっさりした記述ですが、裏では激しい政治駆け引きがあったのかも。そのへん面白そうなんで、なんか小説があっても不思議じゃない気がするんですが、永井路子あたりが書いてないかなぁ。
この人も一見マイナーながらこんなに毀誉褒貶が激しい人だったんですね。摂関政治の末期から鎌倉幕府における北条氏の権力確立まで権力をめぐって騒乱が続いたのはわかってましたが、そこまで詳しく意識していませんでした。
というか、この二人は可哀想ですがどうみても歴史の中での脇役ですね。
うーん、中国の長い歴史の中でまっとうな死に様をできなかった皇帝というのをあげていけばきりが無いのではないでしょうか。まして玄宗はもともと皇帝の血筋ですし、自業自得ですし。
後世の知名度という点では確かに高いと思います。
個性的な人物ではあり、権力者から一点して処刑された生涯は興味深いものです。しかし恐怖政治を行ったあたりで人望というか人気無さそうですね。
この人は藩政改革を行ったことよりも、尊皇攘夷派によって暗殺されたことで知名度が上がったのが皮肉ですね。
返信遅くなってすみません。
いやぁ渋いところを持ってきてくれました。大感謝です。
東南アジアの歴史ってのはまったく知らないです。戦国時代末期に日本人があちらに渡って町を作ったり太平洋戦争で暴れたりしたくらいで、あまり歴史上の交流がなかったせいもあるんかな。
タークシン王というのは日本でいうと秀吉っぽいですね。晩年におかしくなるところとか。一代で分裂していた国を統合した英傑でありながら処刑の憂き目に遭うなんて、まさに栄光からの凋落という言葉が似合いますね。
一見平凡そうな人物にしてその30余年の生涯は波乱に満ちていますね。テロリストでありながらアイルランド独立のために奔走した政治家。生まれた環境が違っていたら、その財務・政略などの才能によって全く違う活躍をしたかもしれない。
歴史的人物の素材として面白い人物だと思いますし、実際に映画化もされているようですが、日本で和訳された小説が無いのはやはり今なお政治的に微妙だからでしょうかね。
うーむ。石油という利権があるだけに中東の国は舵取りが難しいですなぁ。イラクのフセインにしても西側の見方では大悪人だしこの人もそんな感じ。自国の利益を優先した結果が欧米の反感を買ったという。ちょっとケースは違いますが似たような話はどこかの国でもあったようで。
まさに歴史は正義と悪で割り切れるような単純なものではないということですね。
世界史の中にはまだまだ知らない人物・出来事が多いものだと思い知らされました。