わたしの過去の質問・回答について、あらたな回答を受付けます。
ケアレス・ミス(誤字・脱字、誤綴など)ご教示に対しては 5~15pt。
年月日(生没年月日など)ご指摘ご教示に対しては 15~30pt。
なるべく、典拠となる書籍書誌、URLを添書きしてください。
総括的なご意見は、つとめて傾聴しますが、議論には応じかねます。
(↓)過去質問&回答履歴一覧
http://q.hatena.ne.jp/adlib/
http://q.hatena.ne.jp/adlib/bestanswerlist
http://q.hatena.ne.jp/adlib/answerlist
画像;Play Bach !
http://www.youtube.com/watch?v=VUeBkl687lQ
── 阿木 燿子・詞/宇崎 竜童・曲《プレイバック Part2 19780501 山口 百恵・唱》
…… 下記のBGMに使われている曲の題名、歌詞の大意を知りたい。
http://q.hatena.ne.jp/1052474679 (20030509)
↑最初の質問 ↓最古の回答
http://q.hatena.ne.jp/1052657727#a14574 (No.3 20030511)
── 《清張紙碑 20020804 与太郎文庫》
十周年、おめでとうございます。
人力検索の中では若輩者ですが、これからもよろしくお願いいたします。
ぼくは、2009年の寅さんについての質問に回答させていただきます。
Q1.安曇野(長野県中部の観光地)は、地価いかほどだったか?
Q2.なぜ、安曇野を選んだのか?(実家は岡山?、博は次男らしい)
Q3.安曇野に博一家が住むためか、売って東京に家を建てるためか?
質問のお題とされている第22作「噂の寅次郎」ですが、博の実家がある 岡山県 備中高梁 は、他に、第8作「寅次郎恋歌」と、第32作「口笛を吹く寅次郎」でも出てきます。
「何故、博の父、ひょう一郎は安曇野に土地を買ったのか」ということについては、第8作「寅次郎恋歌 にヒントがあるようです。
母の危篤の知らせを受け、実家に帰った博ですが、母の死に目には間に合いません。
そこでの父や二人の兄(博は末っ子の三男坊)とのやり取りから、家庭を顧みない父親像が分かります。
そういえば、博も父との諍いで家を飛び出しています。
そんなこんなで、博の実家、諏訪家で寅さんと博の父、ひょう一郎が飲んでいる場面。
寅さんについて細かく書き残したところがありまして、長いですが二人のやり取りについて、そこから引用します。
博の父「そう、あれはもう10年も昔のことだがね、
http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/8saku.htm
私は信州の安曇野というところに旅をしたんだ。」
(省略)
博の父「ぽつん、と、一軒家の農家が建っているんだ。
りんどうの花が庭いっぱいに咲いていてね、
開けっ放した縁側から明かりのついた
茶の間で家族が食事をしているのが見える。
まだ食事にこない子供がいるんだろう、
母親が大きな声でその子供の名前を
呼ぶのが聞こえる。
わたしはね、今でもその情景を
ありありと思い出すことができる。
庭一面に咲いたりんどうの花。
明々と明かりのついた茶の間。
賑やかに食事をする家族達。
私はそのとき、
それが、それが本当の人間の生活って
もんじゃないかと、ふとそう思ったら
急に涙が出てきちゃってね。
人間は絶対に一人じゃ生きていけない。
逆らっちゃいかん。
人間は人間の運命に逆らっちゃいかん。
そこに早く気がつかないと
不幸な一生を送ることになる。
分かるね、寅次郎君…分かるね…」
安曇野の地が、ひょう一郎にとって自分にはできなかった本当の人間の生活を象徴しているところだったようです。
だからこそ、安曇野に買った土地は、(実際に家族として住むことは、かなわぬ夢と知っていながら)ひょう一郎が博親子と一緒に暮らすためのものだったのではないか、と想像します。
1960年ころ ─── ひょう一郎が安曇野を訪れる
1971年 ─── 博の母 郁 死去(「寅次郎恋歌」)
1975年ころ? ─── 安曇野に土地を購入
1978年 ─── 土地が買ってあることをさくらに話す(「噂の寅次郎」)
1980年 ─── 父 ひょう一郎 死去
1983年 ─── ひょう一郎の三回忌(「口笛を吹く寅次郎」)
最後に、Q1 の安曇野の地価についてです。
ズバリのデータは見つけられていないのですが、以下のページから大体の額が想像できます。
http://www.tochidai.info/nagano/azumino/
安曇野市が合併でできたのが 2005年のことなので、それ以前のデータは豊科町だけ(市役所があるところだから)か、合併した町村のものなのかは分かりませんが、それほど差は無いと思います。
平均の土地価格ですが、1983年で 64,000円/m2 ということなので、1975年ころには 55,000円/m2 位 (*) だったのではないでしょうか。
現在でも最高から最低で、51,100円/m2 から 12,100円と開きがあるので、90,000円/m2 から 20,000円/m2 くらいの開きがあったと思います。
(*) 1983年 64,000円/m2、1987年 68,600円/m2 のデータで外補
後は、物価の変動の考慮です。
http://chigasakiws.web.fc2.com/ima-ikura.html
こちらのページを見ると、消費者物価で、昭和50年ころが 55、高卒の初任給が、約 40% くらいだったので、おおむね二倍くらいの価値があったと思います。
現在の金額に直せば、坪単価で35万円くらい。
30坪くらいの土地として 1000万円くらいする土地だったのではないかと想像します。
志村喬が演じる博の父、諏訪ひょう一郎の「ひょう」は、「飈」 が正しい表記ですが、文字がつぶれて読めないので、「ひょう一郎」とさせて頂きました。
10周年、おめでとうございます。
2010年のご質問 歴代常任指揮者 に回答させていただきます。
1. カール・チェリウス
「カール」のスペルは、Karl ではなく Carl だと思われます。
Wikipedia ドイツ語版の Carl Caelius によれば、1908年1月7日生まれ、1984年1月16日死去です。
[195604‥-196106‥] 19080107 Germany 19840116 76
2. ハンス・ヨアヒム・カウフマン
「ハンス・ヨアヒム」のスペルは、Hans-Joachim ではなく、ハイフン無しの Hans Joachim だと思われます。
Wikipedia ドイツ語版の Hans Joachim Kauffmann によれば、1926年6月16日生まれ(生地はシュトゥットガルト)、2008年2月8日死去です。
パンフにカウフマンさんの訃報が有り驚いた。
京都市交響楽団 2 クラシック@音楽
の投稿日が2008/03/10ですから、2008年2月8日死去で矛盾しません。
[196109‥-196308‥] 19260616 Germany 20080208 81
3. フルヴィオ・ヴェルニッツイ
スペルは Fulvio Vernizzi だと思われます。
Wikipedia イタリア語版の Fulvio Vernizzi によれば、1914年4月5日生まれ(生地は ブッセート)、2005年2月18日死去です。
[198204‥-198403‥] 19140405 Italy 20050218 90
4. ウーヴェ・ムント
Wikipedia 英語版の Uwe Mund によれば、1941年3月20日生まれ(生地はウィーン)ですが、ドイツ語の Uwe Mund では1941年3月30日生まれとなっています。
Wikipedia スペイン語版の Uwe Mund に至っては、本文では20日生まれですが、右カラムでは30日生まれと、ページ内で矛盾してます。
IMDb の Uwe Mund でも3月30日生まれですので、ここでは30日説を取ります。
[199804‥-200103‥] 19410330 Austria
以下、蛇足というか言い訳。
「回答者は、なるべくなら Wikipedia を引用しないで、答えましょう。」というお言葉は肝に銘じているのですが、Wikipedia 以外に有力なソースのない情報もあったのでご容赦下さい。
昨今は、苦労して裏を取ろうと見つけたものが、実は Wikipedia からの引き写しだったという事も少なくありませんので。
あと、質問文の "Play Bach !" は、playback の誤記ではなく、意図的なものと推察しました。
以上、お役に立てることを祈りつつ。
◆こちらの質問 謎の人物 ~ Who was Mr. Hirai, Norio ? ~ について、平井憲夫さんの生没年月日がわかりましたので回答させていただきます。
平井憲夫(ひらい・のりお)1938/11/25生(1997/1/7死亡) 原発事故調査国民会議顧問、原発被爆労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め原告特別補佐人、福島第二原発三号機運転差し止め訴訟原告証人。(原発被爆労働者救済センターは後継者がなく、閉鎖された。(以上、引用した部分は、<あごら 286号>より)
http://lilac-tomo3.blog.so-net.ne.jp/2011-04-18
「原発がどんなものか知ってほしい」をどう読むかについては個人によって違ってくると思うので、回答を割愛させていただきますね。
◆三つの謎 についてもお答えいたします。
1.なぜ“ろう者”が、息子をピアニストにすることを夢見たのか?
→自分が耳が不自由な“ろう者”であるがために、些細な音の違いも聞き分けられるピアニストに息子になってもらうことで周囲を見返したいと思ったからだと思います。
玲子は過去の経験から、息子を一流のピアニストにすることで、周囲を見返したいと思っていた
http://www.nhk.or.jp/awards/award/20111107_02.html
2.なぜ、スタッフ【作】龍居由佳里、なのか?
→「星の金貨」でろう者について取材や勉強をした 経験があったからではないでしょうか。
3.Yahoo! テレビガイド欄の文章は、ムダな繰返しが多い(以下全文)。
→これは、「ドラマスペシャル 心の糸」の次の3行があらすじの要約で、それ以降が詳しいあらすじとしているためだと思います。
テキトーにひとつ拾って、隅をツツいてみます!
ベストアンサーになっているもの
http://q.hatena.ne.jp/1348176773#a1168953
上記ですが、
ブログを10日分書いて、10人に訪問された場合を想定する。
10日分を10人が読めば、閲覧数100、訪問者数10。
10人が1日分づつ読めば、訪問者数10、閲覧数10。
開かれた状態が、10日分、5日分毎に1ページと設定されていたり、
検索キーワードの位置によっては、数十ページにわたることもある。
筆者自身や同一人物の、複数回の訪問数については、統一基準がない。
私でしたら、
訪問者数はUU数(ユニークユーザー数)、閲覧者数はPV数(ページビュー数)と言われますが、
例えば、ブログを10日分書いて、10人に訪問された場合を想定しますと、
10人が1ページ分づつ読めば、訪問者数(UU数)10、閲覧数(PV数)10となりますが、
1ページ以上読んだ人がいた場合、あるいは、一定期間内に同一人物が何度か訪れて閲覧した場合には、閲覧数(PV数)は10以上とカウントされます。
上記のように回答します。
しっくりこなかったのが、
ブログの場合、設定でトップページに5記事表示されていても10記事表示されていても、表示されたのがトップページだけでしたら、PV数は「1」とカウントされるだけです。
また、検索エンジン経由で、月別アーカイブページの一部(1ページ分)が表示されても、該当アーカイブページが1ページ表示されるだけですので、PV数は「1」とカウントされるだけです。
ブログの場合、動的にテンプレートが呼び出されて表示される仕様であるため、表示されるページが1つのテンプレートだけであれば、呼び出される記事が何日分、何記事分あっても、一度に表示されるページが1ページであれば、PV数は「1」とカウントされるだけです。
以上により、回答された際の説明文にしっくりこないところがありました。
十周年、おめでとうございます。
人力検索の中では若輩者ですが、これからもよろしくお願いいたします。
ぼくは、2009年の寅さんについての質問に回答させていただきます。
Q1.安曇野(長野県中部の観光地)は、地価いかほどだったか?
Q2.なぜ、安曇野を選んだのか?(実家は岡山?、博は次男らしい)
Q3.安曇野に博一家が住むためか、売って東京に家を建てるためか?
質問のお題とされている第22作「噂の寅次郎」ですが、博の実家がある 岡山県 備中高梁 は、他に、第8作「寅次郎恋歌」と、第32作「口笛を吹く寅次郎」でも出てきます。
「何故、博の父、ひょう一郎は安曇野に土地を買ったのか」ということについては、第8作「寅次郎恋歌 にヒントがあるようです。
母の危篤の知らせを受け、実家に帰った博ですが、母の死に目には間に合いません。
そこでの父や二人の兄(博は末っ子の三男坊)とのやり取りから、家庭を顧みない父親像が分かります。
そういえば、博も父との諍いで家を飛び出しています。
そんなこんなで、博の実家、諏訪家で寅さんと博の父、ひょう一郎が飲んでいる場面。
寅さんについて細かく書き残したところがありまして、長いですが二人のやり取りについて、そこから引用します。
博の父「そう、あれはもう10年も昔のことだがね、
http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/8saku.htm
私は信州の安曇野というところに旅をしたんだ。」
(省略)
博の父「ぽつん、と、一軒家の農家が建っているんだ。
りんどうの花が庭いっぱいに咲いていてね、
開けっ放した縁側から明かりのついた
茶の間で家族が食事をしているのが見える。
まだ食事にこない子供がいるんだろう、
母親が大きな声でその子供の名前を
呼ぶのが聞こえる。
わたしはね、今でもその情景を
ありありと思い出すことができる。
庭一面に咲いたりんどうの花。
明々と明かりのついた茶の間。
賑やかに食事をする家族達。
私はそのとき、
それが、それが本当の人間の生活って
もんじゃないかと、ふとそう思ったら
急に涙が出てきちゃってね。
人間は絶対に一人じゃ生きていけない。
逆らっちゃいかん。
人間は人間の運命に逆らっちゃいかん。
そこに早く気がつかないと
不幸な一生を送ることになる。
分かるね、寅次郎君…分かるね…」
安曇野の地が、ひょう一郎にとって自分にはできなかった本当の人間の生活を象徴しているところだったようです。
だからこそ、安曇野に買った土地は、(実際に家族として住むことは、かなわぬ夢と知っていながら)ひょう一郎が博親子と一緒に暮らすためのものだったのではないか、と想像します。
1960年ころ ─── ひょう一郎が安曇野を訪れる
1971年 ─── 博の母 郁 死去(「寅次郎恋歌」)
1975年ころ? ─── 安曇野に土地を購入
1978年 ─── 土地が買ってあることをさくらに話す(「噂の寅次郎」)
1980年 ─── 父 ひょう一郎 死去
1983年 ─── ひょう一郎の三回忌(「口笛を吹く寅次郎」)
最後に、Q1 の安曇野の地価についてです。
ズバリのデータは見つけられていないのですが、以下のページから大体の額が想像できます。
http://www.tochidai.info/nagano/azumino/
安曇野市が合併でできたのが 2005年のことなので、それ以前のデータは豊科町だけ(市役所があるところだから)か、合併した町村のものなのかは分かりませんが、それほど差は無いと思います。
平均の土地価格ですが、1983年で 64,000円/m2 ということなので、1975年ころには 55,000円/m2 位 (*) だったのではないでしょうか。
現在でも最高から最低で、51,100円/m2 から 12,100円と開きがあるので、90,000円/m2 から 20,000円/m2 くらいの開きがあったと思います。
(*) 1983年 64,000円/m2、1987年 68,600円/m2 のデータで外補
後は、物価の変動の考慮です。
http://chigasakiws.web.fc2.com/ima-ikura.html
こちらのページを見ると、消費者物価で、昭和50年ころが 55、高卒の初任給が、約 40% くらいだったので、おおむね二倍くらいの価値があったと思います。
現在の金額に直せば、坪単価で35万円くらい。
30坪くらいの土地として 1000万円くらいする土地だったのではないかと想像します。
志村喬が演じる博の父、諏訪ひょう一郎の「ひょう」は、「飈」 が正しい表記ですが、文字がつぶれて読めないので、「ひょう一郎」とさせて頂きました。
まずは、十周年、おめでとう御座います。ますますのご活躍を心よりお祈り申し上げます。o(^-^)o
そういえば、ずっと前、過去問にコメントで回答したことがあるのですが、少し補足を加えて、正式に回答欄に回答してもよろしいでしょうか。(^_^;
●ゼノンの詭弁「アキレウスと亀」について、
「分割操作を考えている時間」tと「アキレウスと亀が競争している時間」Tの「すりかえ」が詭弁になっているのかも。(汗;
確かに「分割操作を考えている時間」は無限に考えることはできるが、t→∞⇒T→0で、この操作は「アキレウスと亀が競争している時間」をアキレウスが亀を追い越す瞬間に止めてしまうことになるから、いくら考えても追い越せないだけかも。(汗;
http://q.hatena.ne.jp/1064514314
もう少し、補足すれば、「分割操作を考えている時間」というのは、ゼノンや彼の説を読んでいる人が、「分割操作を考えている時間」ということです。
一般に、詭弁というのは、どこかで、「すりかえ」をやっていることが多いです。(^_^;
まぁ、頭で考えて分からないことでも、実際に実験してみれば、答えは分かるんですけどね。(^_^;
※参考URL
http://q.hatena.ne.jp/1149753436
http://d.hatena.ne.jp/midnightseminar/20100211/1266066230
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19560618
京都市交響楽団 歴代常任指揮者