「あの思い出」
家族過ごしたあの日々
おじいちゃんも、おばあちゃんも
あっちゃんも、清ちゃんも
みんな一緒の家
でも、今は残念ながらバラバラ
春にはおじいちゃんが大切にしていた花畑
秋にはおばあちゃんが植えた野菜の収穫
とってもおいしかったな。
庭では近所のさとし君やのぼる君とサッカーをしたあの庭。
ラブラドールのショウ君もお気に入りだっけ。
でも、今は住んでいないの。
さみしいな
でも、またきっとあの日のような家に戻るよね。
きっと
「毎回一言はなくても」
みんな生活リズムがばらばらなので
外出先から帰ってきても”ただいま”と言わない事があります
(誰もいない時もあるし)
でも、たまには、”ただいま?”という時ありますね
そして自分がお帰り?という場合も
毎回誰かが帰ってきたときいうのは面倒だ?と
正直思うけれどいう事はやめたくないですね
たった一言だけど結構気持ちがいいんですよね
子供が、小さいころは、必ず、玄関までお見送りをしてくれていました。
朝から元気がもらえました。
今では、一緒に出かけています。
楽しいです。
「お互いの生活パターンがずれてても必ず」
旦那さんも私もフルタイムで働いていて
一緒にすごす時間は短いのですが
今年はさらに、私の会社が節電の影響もあり
サマータイムが導入され約2時間ほど
お互いの起床時間がずれてしまいました。
でも、必ず家を出る前には
「いってくるよー」と声をかけると
モソモソおきてきてくれて、玄関までお見送りをしてくれます。
そのときに、今朝の朝ごはんは○○だよーとか
お弁当忘れずにねーとか、伝えたり。
1分もないような時間ですが
よし、今日も1日がんばろう!って
気持ちの切り替えにもなっているので
これからも大事にしていきたいです
「帰りついた家に家族がいるという幸せ」
私の実家は、7人家族で祖父母と同居していました。
小学校でも、中学校でも、高校でも必ず帰宅すれば
祖母と祖父、帰りが早ければ両親、兄弟がいました。
当時は、そのことが当たり前すぎて、
ありがたいともなんとも思わなかったのですが、
大学で一人暮らしを経験して、
祖父母が他界し、
会社から帰宅して暗い部屋のドアを開けるときに
時折、むなしいとも寂しいともつかない心持ちになります。
帰ってきて誰かが迎えてくれる。
もしくは、自分が家族を迎えるというのは
当たり前だけれどとても特別な
家族だからこそ出来ることだったのだと痛感します。
自分も家族を持ち、
そのようなお互いの帰りをまてる場所を作っていきたいです。