人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

ハロルド・マクミランは、伯爵になっていますが、サッチャー女史は男爵(一代貴族)です。なぜ、サッチャーさんは、伯爵・子爵・男爵(世襲男爵)ではなく、一代限りの男爵しかならなかったのか、気になりました。
女性だからでしょうか。

2013/06/26 15:36:51 に「サッチャー女史は男爵になっていたそうですが、一代爵位で、男爵です。世襲の伯爵でも良さそうですがなぜですか。議事堂に銅像までできたくらいなのに。」と質問をしたところ、皆様からご親切な回答を得たのですが、やはり気になりました。 なお、1958年の一代貴族法で、一代貴族は全て男爵位であり、貴族院議員となるというのはわかりました。まず、サッチャーさんを一代貴族にすると決定すれば必然的に「男爵」になりますけど、サッチャーさんなら、伯爵か子爵でもいいし、世襲でも問題ないのでは、と思いました。世襲に問題があるのかな、と。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:政治・社会
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

▽最新の回答へ

質問者から

マクミラン氏もサッチャー氏も、メリット勲章をもらっていて、枢密院顧問官ということですが、サッチャー氏は、ガーター勲章も貰っています。すると、ここまでの話だと、サッチャー氏の方が上です。
でも、マクミラン氏は、伯爵と子爵を貰ったようです(1984年に。両方とも世襲です。)。

なお、最近日本で公開された映画を見ると、サッチャーさんは、エリザベス女王との間でいろいろ苦労したことになっています。ひょっとして、女王陛下に少し疎まれていたのでしょうか。それが原因でしょうか。


1 ● 匿名回答1号

◆一代貴族 - Wikipedia :
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BB%A3%E8%B2%B4%E6%97%8F

一代貴族(いちだいきぞく、life peer)とは、イギリス貴族のうち、世襲ではなく、一代限りで貴族に叙された者である。現在の制度は、1958年の一代貴族法で制定されている。一代貴族は全て男爵位であり、貴族院議員となる。

現在では世襲貴族は王室関係を除いてまったく作られておらず、一代貴族は世襲貴族より下と考えられがちだが、男爵同士なら全く同格である。1999年の貴族院法改正により、世襲貴族の議席数が約90人に限定されたため、かえって一代貴族のほうが特権が多い。

◆知られざるイギリス貴族の真実。 [イギリス] All About :
http://allabout.co.jp/gm/gc/79288/

一代貴族(life peerage)と呼ばれる男爵が600人前後。イギリス国家への貢献度の高い人に対して、男爵位が授与されています。こちらのほうは出身階級にかかわりなく与えられますが、爵位が有効なのは本人一代限り。叙爵者の選考は、イギリス政府内にある、爵位および各種勲章の叙爵(叙勲)者選考委員会からの推薦によって、イギリスの君主(今はエリザベス女王ですね)が決定します。

本人の功績によるものなので、本人のみ、一代限りなのです。
王侯貴族のが中心だった時代で、なおかつ、治める「領地」を与える余裕があった時代なら世襲貴族の家を興すことも可能だと思うのですが、現代では難しいかと思います。本来、領地と爵位は切っても切り離せない関係にありますので。
無論、現代でも複数の爵位を持つ王家、貴族は存在すると思いますが、残念ながら自分はこれ以上の事については、ネットで検索して出てくる事以上の事は分かりません。

id:Kaoru_A


匿名質問者さんのコメント
有難うございます。 本来、領地と爵位は関係がありますね、 でも、領地を減らしたり失っても、今は爵位を取り上げられたりはしないみたいな気がします。領地でなくて、単なる所有権の土地の場合も多いと思います、今は、領主権は認めてもらえないような気がします。もともと領主権であっても今は単なる所有権に制限されてしまってると想像します。また、いつごろかわかりませんけれど、爵位の授与は領地の授与という感じでもないみたいに思います、 ウエストミンスター公爵も、土地所有権はありますが、領主権は持ったことが過去もないんじゃないかと思います。後発の貴族で、封建時代(領主権のあった時代)には、貴族に達していなかったと思います。薔薇戦争時代に貴族になったダービー伯爵家も、別にダービーシャーに領地を持っていたわけではないそうです。

匿名質問者さんのコメント
いろいろ詳しく知りたければ、 英国にある、質問サイト(はてな、みたいな)に投稿すると 回答があるかもしれないですね。英国にも米国にもそういうサイトはあるんじゃないかな、と思っています。

匿名回答1号さんのコメント
個人的な考察レベルですが…… 19世紀末あたり、欧州が様々な意味で変わっていくあたりから、もしかすると、今までは王と王の側近(有力者)の意向のみで自由裁量されていた「爵位」について、法律とまではいかないにしろ、何らかの制度が作られたのではと思います。その流れの中で生まれたのが、マクミラン氏が保持する「連合王国貴族」の制度や、1958年の一代貴族法なのかもと思うのです。 また、ドイツ、オーストリア、フランス等、現在は立憲君主制ではない国でも、爵位をお持ちの方や「王位請求権保持者」はいたと思います。有名なところだと、ハプスブルク家ですね。 この件について、欧州の王国史等の著作で有名な森護氏であれば、ご存じなのかなとも思うのですが、残念ながらお亡くなりになってらっしゃいます。 森氏の著作から何かヒントがあればと思うのですが…… 参考 ◆連合王国貴族 - Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E7%8E%8B%E5%9B%BD%E8%B2%B4%E6%97%8F >> 王族でない公爵創設は1900年が最後であり、侯爵の創設は1926年が最後であった。1964年にハロルド・ウィルソンの労働党政権が成立後はほとんど授爵が絶えており、1984年にハロルド・マクミランがストックトン伯爵となってから創設がない。 << ◆ハプスブルク=ロートリンゲン家 - Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%EF%BC%9D%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%B3%E5%AE%B6 ◆カール・ハプスブルク=ロートリンゲン - Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%EF%BC%9D%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%B3 ◆ローレンツ (オーストリア=エステ大公) - Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84_(%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%EF%BC%9D%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%86%E5%A4%A7%E5%85%AC) ◆森護 - Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E8%AD%B7 id:Kaoru_A
関連質問

●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ