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フランスの画家のツールーズ=ロートレックは、伯爵家の長男のようですが、爵位は継がなかったのですか。また、パリで伯爵と呼ばれることはなかったのですか。
実家は伯爵と子爵の爵位を持っている家のようで、Wikipediaでは、父親を伯爵(アルフォンソ伯)と書いていますから、長男である彼も、アンリ伯という呼ばれ方も可能な身分だと思いましたが。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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1 ● 匿名回答2号
ベストアンサー

自分はロートレックの伝記を読んだことがないので、詳細なことはWEB検索結果以外わかりません。検索結果だけでもと思い、ポイントだけ抜き出してみました。

◆アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック - Wikipedia :
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%EF%BC%9D%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF

彼は父親より早く亡くなっていると記載されています。ウィキペディアによれば

最期の言葉は彼が障害を持つようになってから、彼を蔑み、金品は与えたが彼の描く絵を決して認めなかった父親に対して発したLe vieux con!(馬鹿な年寄りめ!という意)だった

彼には弟が居ましたが、弟は生まれた翌年に亡くなっています。

ヨーロッパの爵位は領地に付随するものであるゆえ、トゥールーズ=ロートレック家の領地を誰が相続したのかが気になりますが、ヒントはウィキペディアにあります。

生家のボスク城は親しい間柄だった母方の従兄弟ガブリエル・タピエ・ド・セレイランが相続し、後にその末裔の女性によって博物館として管理されるようになった

◆小さな宝石を育んだ故郷アルビを訪ねて ロートレックが愛したボスク城 :
http://www.mmm-ginza.org/special/201112/special01.html

城の歴史は12世紀にまでさかのぼり、戦争や革命といった混乱の時代を経ながら、現在に至るまでロートレックの一族によって守り続けられてきました。現在もロートレックのいとこガブリエル・タピエ・ド・セレイラン(Gabriel Tapié de Céleyran/1870-1930)の末裔であるニコル・タピエ・ド・セレイラン(Nicole Tapié de Céleyran)伯爵夫人がこの城に住み、世界中からやってくるロートレック・ファンを温かく迎え入れています。

なお、フランスの爵位については、下記を参照して下さい。

◆爵位 - Wikipedia :http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%B5%E4%BD%8D

フランスの爵位

フランスの爵位は13世紀、国王フィリップ3世が貴族身分を制定したのが始まりで18世紀に王族の大公を筆頭に公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、騎士、エキュイエ(平貴族)までの階梯が確立した。フランス革命で爵位制度は一度廃絶されたが、1814年の王政復古により、ナポレオン帝政下の帝政貴族と王朝貴族が併存する形で爵位制度が復活するものの、貴族の特権は伴わず爵位は純然たる名誉称号と化した。第三共和政以後は私的に用による以外その効果を失った[2]。

参考になりましたら幸いです。

id:Kaoru_A


匿名質問者さんのコメント
大変参考になりました。父親より先になくなったならば、爵位を名乗る筈もないですね。 父親存命中に爵位を名乗る習慣があれば、別ですが(帝政ロシアでは、父親存命中でも、長男次男みな名乗ったみたいです。儀礼称号かもしれないのですが・・・・詳しくなくてすみません))。 ナポレオンの第一帝政は、爵位制度ができたみたいで、他方、王朝の爵位はおそらく廃止のままだと思います。私的に使うことは認めれたかもしれないですけれど(?)。復古ブルボンでは、帝政の爵位と王朝下の爵位が併存したんですね。Wikipediaの書き方からみると、公式に併存したんでしょうね。

匿名回答2号さんのコメント
◆ヴァイカウント - Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%88 >> イギリスやイギリス連邦におけるヴァイカウント (中略) またviscountは儀礼称号として侯爵(marquess)や伯爵(earl)の嗣子にも使われる。例えばEarl Howe(ハウ伯爵)の長子は代々Viscount Curzon(カーゾン子爵)と呼ばれていたり、当今の例ではウェセックス伯エドワードの息子のジェームズがセヴァーン子爵とされる。 << 儀礼称号については既にご存じのようですが、一応、下記に説明があるとだけ付け加えさせて下さい。 ◆儀礼称号 - Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%80%E7%A4%BC%E7%A7%B0%E5%8F%B7

匿名回答2号さんのコメント
余談ですが…… もし、ロートレックが「一般的な貴族青年」として育ったならば、あのような大胆な構図と躍動感を持ち、なおかつ大衆に親しまれたポスターや絵画が生まれなかったと思うと、人生というものはなんとも難しいものだと感じました。 ロートレックの心の内は今となっては分かりませんが、売笑婦や踊り子達との談笑と、グラスの酒のなかに慰めをみつけていたのかなとは思います。 id:Kaoru_A
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