蝦夷地には、千島、樺太はおろか、カムチャッカ半島まで含んでいたようです。
千島列島 - Wikipedia
1700年(元禄13年) - 松前藩は千島列島を含む蝦夷地の地名を記した松前島郷帳を作成し、幕府に提出
この郷帳には北海道本島からカムチャツカ半島までが記載されている。
1801年(享和元年) - 富山元十郎と深山宇平太を得撫島に派遣し、日本領であることを示す「天長地久大日本属島」の標柱を建てる。
1855年(安政元年) - 日露和親条約が締結され、択捉島以南を日本領として画定。樺太については国境を定めず、日露両国の雑居地とした。