そうやって悩むことが良いことなんだよ(´∀` )
生きる意味なんて本来は存在しないのかもしれないね。だって対にあたる「死ぬ意味」なんてないでしょ?
「死ぬ理由」ならあるかもしれない。いじめでつらくなった、とか、病気であと何日も生きられないからだったら・・・、とか。本当はそういうことを言うのは、本当にそういう状況にある人に申し訳ないかのだけれど・・・。
でも、死ぬ理由があるなら、「生きる理由」だってあるんだよね。でも生きる理由っていうのは、イコール「生き甲斐」っていう訳じゃない。
いじめでつらい。でも家族は優しいから家族のために生きよう。病気であと幾日の命。でも大切な人のためや自分が死ぬまでにやりたかったことをやろう。そういうのが生きる理由じゃないかな。
生きるって、理屈じゃないんだよ、きっと。
生まれてから死ぬまでに起こることが全部わかっている状態で、君は生きたいと思う? 「あなたの一生」みたいな本があって、それを読んでみたら「詐欺に会う」とか「自己破産する」って書かれてあったらどうする? 僕なら生きる気がしなくなる。逆に「○○さんと結婚する」とか「□□で賞をとる」ってあったらどうする? 僕なら[あー、じゃあ他のことしなくていいやー]って言ってなにもやらなくなるかも。
努力って報いを求めてやるものじゃないと思うんだ。努力すれば必ず報われる? そんなの嘘に決まってるでしょ。必ず? なんで絶対って言いきれるんですか。
努力で得られるのは報いではなく結果。でも、努力しなかったときと比べれば、明らかに努力した方が結果がいい。努力することで結果が1でも上だったら嬉しいじゃん。
悩むって素晴らしいね。その悩んで考えることだって努力だよ。その結果色んな方が回答した。自分で考えて出した1つの結果よりはるかにたくさんの意見という結果が生まれてる。
長くなったね。つまり、生きることに意味なんてないし、努力は報われない。でも生きる理由はあるし、努力することでしなかったときより良い結果がでる。あ、でもこれが答えではないよ? 理屈じゃないからね(´_`)
> 努力すれば報われる
報われない努力があるということを教えてくれる大人が回りに居なかったのですね。
周りからの圧力があるかと思いますが、1年位、非生産的に生きてみましょう。(戻る場所は予め確保して)
世の中に「ねばなら無い(MUST BE)」は、少ないことが悟れれば、非生産的に過ごしたはずの1年は、残りの人生の糧になっていることでしょう。
悟れなくても良いのです。「悟らなければならない」ことは無いので。
ただ生きればいいと思いますよ。
人生の意味なんてわかる人いませんよ。
僕も一時期悩んでいて、それはひきこもりがちで友達の少ない今でも治ったとは言えないのだけれど、一時期よりは随分楽になった。同じ感覚かどうか分からないけど、この問題に対して僕が言えるのは、
○哲学書よりも人間の基本的な感情の在り方やコンプレックスを解き明かすアドラーなどの心理学や、fMRI等から科学的に僕らの認識や感情がどういう仕組みなのか解き明かす脳科学や、なぜこの人間という存在がこの宇宙にそもそも存在し、どういう形態で生き延び進化してきたのか、他の生物は、哺乳類はどう生きているのかということを解き明かす生物学、感情を鎮める瞑想法を説いた仏教などと言った違う分野が与える示唆の方が、楽に人生をうまく回して行くには有効であるということ。毒矢のたとえ。
○永井均や中島義道が言っているようにニーチェは幸せには生きるのには役に立たない。身も蓋もないことを言うから。
○というか人生というか、この意識体が今ここにあることは圧倒的にやはり無意味だからこそ、楽に生きられるのかもしれないとは思う。圧倒的無意味。そこでどう生きるか。アニマルプラネットを見まくって、このかわいい動物たちは無意味に生きているのだなあ、という感覚を味わうとか。何を思ってこんな必死に生きてるんだろうなとか。でも客観的無意味だろうが、楽しいものは楽しい。
○報われないというのはやっぱり他人に期待してるからかなぁ。報われる、報われないにこだわると、そりゃ報われない不満が出るのは当然だとも思う。「嫌われる勇気」って本はそこのところ上手く説明してた記憶がある。僕が今ハマッている英語の勉強にしても筋トレにしても確実にやった分だけ報われるのでおすすめ。達成したい長期的目標とそこに行くための短期的目標とそれを為す具体的方法とその後の報酬を紙に書いて計画して実行する、みたいな自己啓発的なやり方も実際役に立つと思う。期限を定めた目標を持ってないと人生は腐っていく気がしているので、できるだけ個人的に定めた目標を持つ。そこへ向かう。それを繰り返す。それ自体で報われている。
○「意味」を求める場面と「無意味でいい、あるいは無意味でもかまわない」という場面を切り分けること。このコラムは上手く説明してる。http://aplac.info/thisweek/essay671/671.html
○カウンセリングに行くのは当然おすすめ、軽い気持ちで行けばいい。こういう「当然おすすめ」みたいなことを積み重ねるのはじわじわと日々のクオリティを上げるし、人生の意味を求める苦しみを確実に減らしてくれる。朝ちゃんと起きて日光を浴びることも、有酸素運動も、ちゃんとした食事と睡眠も、毎日のマインドフルネス瞑想も、当然おすすめ。
などなど色々あるけれども、大事なのは絶対に死なずに、肉体の感覚の方を信じるということ。そうして生きて、働いたり、人と話したり、本を読んだりしているうちに、必ず違う考えは浮かんできて、昔とは世界の見え方が違っているはず。世界の見え方が違うということは、人生の意味も違っているはず。つまり人生の意味は固定的なものではないということ。人間が持っている「分析モード」を使い間違えないこと。人生そのものや会話とかは分析するものではなく「感じるモード」を使うべき場面なのかもしれない。
僕も色々考えながら生きていて、確実なことは分からない。なんか掴んだら教えてほしい。
生きる意味がわからず、人と交流できず、努力をしてもが報われず、苦しい辛い…という状況そのものが、あなた自身のこの世界に対する認識であり、あなたの苦しみは全てその認識に起因しています。
これは奇異なことではありません。
人間は自分の体の感覚器が感じ、脳で知覚・統覚した情報を通してしかこの世界を認識できません。
ここで、全く外部からの情報が入ってこない状況を想定しましょう。
そうすると身体は、自分の体内で起きていることを情報として送ってきます。
さらに、体内で起こっていることも全て止まって何も発生しない状況を想定しましょう。
そうすると今度は心が自分の中で発生した想念を送ってきます。
さらにその想念も途絶えた状況を想定しましょう。
その状況が死の状態に近いと思われます。(やったことがないのでわかりませんが)
ここをスタート地点として、心身や外部世界から受け止めた情報によって、あなたは世界を認識し、あなたの世界を構築しています。
この構成要素は、上に書いた死に近い状態の上に加えられているという意味で、他のあらゆる構成要素と当価値です。
だから本来、あなたが感じている苦しみや悩みは、あなたが感じている悦びや楽しさと当価値です。
しかしそれでは社会生活を営めません。
この世に誕生した時から、あなたは様々な感覚・情報に価値を定め基準を設け、それを元に行動を行い、必要に応じその基準に新しい要素を加えてきました。
やがて、それらは互いに複雑に絡み合い、あなたの意識では全くコントロールが効かないもののようになって行き、今こうしてあなたを悩ませていますが、それでも0から100まであなたの認識によって構築されたものであり、それ以上でもそれ以下でもありません。
これを前提に、あなたの質問と他の方の回答、それに対する返信を見ると、こうして悩み苦しむことがつまり、今のあなたの生きる意味なのだろうと思います。
そして、日々悩み苦しむことを通して得るもの、見えてくる今と違う世界があれば、それが「努力が報われる」ということなのだと言えると思います。
「コミュニケーションが苦手」で「生きる意味が感じられない」「努力が報われない」からこそ見えてくる世界、感じ取ることの出来る理があり、それはかけがえのないあなただけのものです。
(私も似たような苦しみを持っていますが、それはあくまで私の目から見て似ているように感じるだけです。同じではありません。)
「そんなものに意味は無い」「価値はない」というのは自由です。それもまたあなたの認識ですから他のあらゆる要素と当価値です。
当価値のモノに順位をつけているのはあなたです。その順位に苦しんだり喜びを感じるのもまたあなたです。そしてその喜びや悲しみ自体もまた当価値です。
私としては、友達を作ること、努力をすること、生きる意味を見出すことを無条件に良いとする限り、その苦しみから逃れられないので、しんどいなら、それらを受け流す(否定はしないが追い求めない)ことをおすすめしますが。しんどくないなら苦しみ悩むのも良いと思います。