人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

ガリバルティの故郷のニースとそこに接する地域ですが、フランスに譲渡されました。この地域は、フランス語話者が多かったのでしょうか(南部フランス語かもしれませんが)。すると、ガリバルティが、イタリア人意識を持っていたのか、わからなくなります。あるいは、このあたりは、フランス語話者とイタリア語話者の混じった地域だったのでしょうか。
また、フランスへ譲渡されるとき、地域住民はどう感じたのかなと思います。イタリア統一戦争に従軍していた人の家族や遺族、子孫もいたと思いますが。。。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:旅行・地域情報
○ 状態 :キャンセル
└ 回答数 : 0/0件

▽最新の回答へ

質問者から

イタリア統一の際、フランスへ譲渡された土地もあります。
しかし、ガリバルティ自身は、すくなくとも、ニースはイタリアに帰属すべきだと感じていたんではないか、と思います。

他方、現在のイタリアにも、フランス語を話す地域があるようです。考え方によっては、この地域については、フランスへ譲渡してもよかった地域ともいえるような気すらします。


関連質問

●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ