与え続ける...
見守るとか、受け入れるとか、
そんな関係だと思います。
依存では、自分も相手も共倒れな関係ですね。
https://ci.nii.ac.jp/naid/110007042595/
与え続ける愛とは特定の誰かに対して、という意味ではないです。
教会に通っているせそさんならば以下のような文言は見聞きしたことがあるのではないかと思うのですが
太陽は善人にも悪人の上にも平等に光を注ぎ、月もまた同様に然りであった。
神は愛する被造物に対して対等に無限の愛を注いでいるのである。
神を崇める者にも、罵倒する者にもである。
したがって愛は、善のみに相対するのではなく、むしろ悪にこそ相対するのである。
キリストの愛は、まさに汝の敵さえ愛した無制限、無差別の愛に他ならなかった。
愛とは、相手と自分をつなぐ絆であり、生かし合う愛である。
これは「ペルソナ(人格)としての愛」とされている。
人間のいつまでも変わらない絶対的人格を対象とした愛なのである。
与え続けることができるのは神仏のみ。ただの人間に、そこまでの器量はないかと。
自分なりに真剣に考え、相手にとってよかれと思ってする言動がその人なりの「愛」。
それが相手にとって真に有用なものかどうかは、まさに「神のみぞ知る」。
始まりが「愛」の様でも病的ならば結果的に「共依存」にもなり得る。
(自分を適切に愛せない人は他人も適切に愛せないので、その点で病的かと)