「それでもダムを造り続けねばならぬ深い闇が存在するのであろう」。
4年半前に不信任決議を県議会から突き付けられた際、僕が述べた科白です。果たせる哉、僕を追い出した山国ナガノでは2月8日、活断層が横断する地滑り地帯に浅川ダムを建設する「『脱・脱ダム』宣言」を新知事が発しました。
市街地の真上に建設される県営浅川ダムは、“深い闇”そのものです。僕が就任した平成12年秋、総事業費400億円の半分に当たる200億円が既に投じられていました。何と、ダム本体工事の杭打ちさえ行われていなかったにも拘らず。
浅川ダム計画は、ボブスレーとリュージュの競技会場となった飯綱高原へと向かう巨大ループ橋を新設する200億円の費用を捻出するべく、長野冬季オリンピックの開催が決定した直後に急浮上した羊頭狗肉な“深い闇”だったのです。
成る程、千曲川へと流れ込む浅川の下流域では過去に幾度か、床上・床下浸水等の被害が生じています。が、ここにも“深い闇”が横たわっていたのです。ダムを建設しても下流域での洪水は防げない、と河川行政を牛耳る国土交通省自体が認めていたのですから。
国が管理する千曲川の河川改修が滞っているのが原因で、大雨の際には「内水氾濫」と呼ばれる千曲川から浅川への逆流が生じてしまうのが原因だったのです。
僕は先ず、住宅が密集する中流域で3kmに及んでいた天井川部分を全面改良すると共に、貯水機能としての森林整備を上流域で展開。流域全体の9割の区間で河川改修も完了させました。
然る後に、リンゴ畑が広がる下流域での洪水を防ぐべく、約21haの農地を遊水池として一旦緩急の場合には活用する契約を、耕作者との間で結ぶ整備内容を提示したのです。既に東北、関東の数カ所で国土交通省も実施している治水です。
が、家業としてセメント等の建設資材を扱う長野市長を筆頭に公共事業派は、ダム建設に固執し続けました。巨額の補助金が国から降ってくるダム建設こそは地元経済を活性化させる、と。
呵々。認識不足も甚だしいのです。総事業費の72.5%を国が負担するダム建設は、同じく総事業費の80%が県外のスーパーゼネコンに支払われる構図です。詰まりは、持ち出しです。故に、県内の下請け企業は、仕事は有ってもカツカツ状態が続いていたのです。
五十嵐敬喜・法政大学教授の言を借りれば、「手厚い補助金で支配する中央集権的な公共事業の構図に戻る」のが、「借金は地域の宝だ」と大言壮語する新知事の「『脱・脱ダム』宣言」なのです。
環境だけでなく雇用も経済も、地域循環型であるべきです。それが脱・物質主義の21世紀に相応しい社会です。
「出来得る限りコンクリートをダムを造るべきではない」と述べる「『脱ダム』宣言」は、環境原理主義とは対極に位置します。私達の社会の在り方、税金の使い方に警鐘を発しているのです。
が、福島県に於ける談合事件も、ダム建設を巡って引き起こされた様に、膨大な補正予算が組まれて事業費が天文学的に膨れ上がるコンクリートのダムという“深い闇”に群がる面々にとっては、それでも造り続けねばならない麻薬なのです。
治水や地域にとって必要なのはダム建設ではない別な公共事業です。