そこで、日本の国は治安も国民性も良好だとする見方があるようですが、そこに矛盾を感じるのは自分だけでしょうか?
そこに見えるのは「犯罪は攻撃的な人間が犯すもの」だという先入観です。
実際、犯罪者の人物像に関する話になると決まって普段は真面目で大人しかったという人ばかりではありませんか?
私が思うにストレスがたまりやすい人ほど、その悔しさなどから犯罪に至ってしまいやすいのだと思います。
普段から傍若無人な人や繊細じゃない人というのは、一般的にストレスがたまりにくいですし、犯罪にまで至る事は意外と少ないのではないでしょうか?
そこでまた見えてくるのが、真面目であることが馬鹿にされがちで、派手さが尊ばれがちな社会構造です。
こんな日本の治安、国民性が果たして本当にいいと言えるのでしょうか?
特に都心部などはお世辞にもいいとは思えません。
この国が戦後、良くなったことって結局モノが豊かになったこと以外にあるんでしょうかね?
本当に全体的によくなっているのなら、
政治家の不祥事やいじめ問題などもとっくになくなっていていいはずではないのでしょうか?
全体的によくなっていると思っている人はどうも根本の問題がわかっていないような気がしてなりません。
だれかがtaikibanseiさんに「説明」すれば
すぐ納得する問題なのですか?
人のことまで救いたがる善意のかたまりみたいな神様になれる人はいません。
神を代行できる絶対的な権力などもありません。
絶対的な善を遂行できる力があるとすれば自分の心の中だけです。
ひとりひとりがそういう地球上のどこにでもある
理不尽さや正体の見えない世間というものの恐怖と
戦うことでしか、生きられないのです。
あなたも「なぜなに坊や」は早く卒業して精神的なオトナになってください。
そして自分だけは絶対にまわりのひとにイジメを行わない、
自分の近くでイジメがあれば自分が止めてやる、と決めればよいのです。
「自分は力が無くてなにも出来ない」と嘆くふりして安全地帯に閉じこもってないで
自分ができることから行動すればいいのです。
まずは勉強です。社会構造なんてバクゼンとしたものを怖がるのは、
相手をひとかたまりでしか理解できていないからです。
あなたの恐怖の実態はいったいなんですか?
細かく見ていけばわかりやすいことでは?
そして、勉強もせずネットという細い回線の向こうで、
たまにかまってくれる人(たまたまヒマにしている人)を問い詰めて、
結局なにがしたいのですか?
ここは小論文の添削場所ではないですよ。
ここにいても勉強はできません。
少なくとも本筋の議論(にもなっていない)を続けても世の中を1ミリも動かせないことは確実でしょうから、それより『十九歳の地図』の中にこのいわしの答えがあると私は思うので、それをお薦めします。(ただし、私が見たのは柳町光男監督によって映画化された方で、原作小説は未読です。)
「豊かだから/貧しいから、いじめが多い/少ない」とはいえないでしょう。
発展途上国ではいじめが多いのでしょうか?先進国は少ないのでしょうか?いじめが少ない国が豊かな国なのでしょうか?いじめも不祥事も、「認知件数」という問題がありますし。
豊かさといじめが同じ問題だとは一言も言ってませんよ。
ただ、上の方がモノだけでなく国民性まで豊かになっているというような言い方をされているから、本当に国民性がよくなっているのなら、なぜ不祥事やいじめはなくならないのか?と言いたかったまでです。
あと言い忘れていましたが、政治家だけではなく相次ぐ企業の不祥事も忘れてはなりませんよね。
豊かさと道徳性今昔。
衣食足りて礼節を知る(昔)
衣食足りて礼節を欠く?(今)
足りてというのか、足りすぎてというのか。
豊かさも、どう測るかですよ。
国の豊かさの尺度でGNHというのがあったけど。GNHappiness。
物質金銭的な豊かさは、やっぱり心にいろいろ影響しますよ。
それが必ずしもHappinessと限らないのがくせ者。
宝くじでいくらか以上当選すると、もれなく小冊子がついてくるそうな。
心のケアにと、なかなか気が利いている(欲しい)。
ゴダイゴの歌で、Happiness~Happiness~ていうのありますよね。
知ってる?
ちょっと前までは、いじめなんてせいぜい中学生ぐらいまでしかないものだと思ってましたが、今では、良い大人でも結構あるというではありませんか。
最初のコメントも含めて、私の考えを述べます。
私はいろんな面で日本が戦後良くなったともうしましたが、全部の点で経済成長ほど良くなったとは言っていません。悪化した部分もあるかも知れないが、全体としてみれば、十分合格点だと主張しています。そして、-100が-50になればそれは改善ですよね?ですから、
>本当に全体的によくなっているのなら、
>政治家の不祥事やいじめ問題などもとっくになくなっていていいはずではないのでしょうか?
には、「そんなことありません。」とお答えします。例として出された政治家の不祥事やいじめ問題は昔から山ほどありました。5.15事件でも2.26事件でも青年将校が腐敗した政党政治の打倒を叫び、それが一定の支持を得たことを忘れるべきではありません。一方で、私はどちらについても信頼できる統計を知りません。暗数も多いでしょうから、減ったとも増えたとも言いにくい。仮に減っていないとしても、増えていることは誰も証明していないはずです。「減ってないから社会は悪い方向に進んでいる」というのは論理的におかしい。例えば、談合は根絶されたわけではありませんが、かなりやりにくくなっています。
また、かつての日本で大人同士のいじめがなかったなんて大嘘です。「いじめ」という言葉は使わなかったでしょうが、窓際族という言葉がお気楽社員以外の意味を持っていることはご存じでしょ。坊ちゃんの赤シャツや忠臣蔵の吉良上野介がやったことって、いまならパワハラに当たることが結構あると思いますよ。
>この国が戦後、良くなったことって結局モノが豊かになったこと以外にあるんでしょうかね?
とのことですが、この「モノが豊かにな」るということが実現できていない国がどれだけあることか。日本が素晴らしい発展を遂げたことはきちんと認識すべきでしょう。それにモノの豊かさだけでなく治安の改善や60年以上の平和、参政権などでの男女平等も実現されました。モラルの面でもタバコの害が世間に知られるようになり、公共空間で喫煙する人は激減しました。喫煙自由な列車がかつてどれほど多かったのか、みんな忘れてるんじゃないかな?
体感治安と統計が乖離するのは別に不思議なことではありません。猟奇犯罪の数が減れば、そのぶんニュースバリューは高まります。それだけのことです。バブルの頃ですら、国民は豊かさを実感できていないなどという言説が振りまかれました。そりゃ不満は各人あるでしょうが、全体としてみれば良くなっていると思いますよ。