日本語の数助詞(「紙が一枚」の「枚」、「二棟のアパート」の「棟」など)で、「これはないと困る」というものはどんなのがありますか? 逆に、「これはなくてもいい」、「むしろないほうが望ましい」といったものは?
……というテーマで雑談しましょう。師走の気ぜわしいときにまったりと。委細コメント欄参照。
参考資料:
「ちょっと便利帳 ものの数え方・助数詞」
http://www.benricho.org/kazu/a.html
関連質問:
http://q.hatena.ne.jp/1197162694/
http://q.hatena.ne.jp/1197293595/
人日とか人月とかも同様。
だれをメンバーにしても同じ能力がでる前提という感じイヤ。
IT関係の開発で、この単位をいつまでも使っているって正直どうよ。
あとコーディング量を計るつもりの、ステップとかラインとか。
もともと 机上コーディングをカードパンチするときの尺度でしょう。
あ、愚痴になってる。
「ネギを三本まとめてテープで巻く」とか、「封筒にチラシを入れる」とかいった単純作業なら、「人月」なども有効かもしれませんけど、最も頻繁に用いられているのがIT関係の分野だというのはいやな感じですよね。
あと、「人工」は私のパソコンのMS-IMEで「にんく」で変換してくれないし(「忍苦」しか出ない……おつかれさまです)、「じんこう population」と誤読しやすいです。
私が最初に日本語を勉強したときは、本(は)本(book)の単位かと思って居ました。
人(ひと)が人(にん)であるように…。匹とか枚とかはその個別の漢字だけの意味の語彙が私の脳にありませんでしたので、すんなり助数詞として身につきましたが、やはり本は今でも不思議だなぁと思ってしまうことがあります、
子供のころに、親を「なんで、なんで」と問い詰めて困らせていたときに、
「なんで『本 book』を数えるのは『さつ(冊)』で、『ほん(本)』じゃないの?
なんで『おさつ(お札) banknote』を数えるのは『さつ』じゃなくて『まい(枚)』なの?」
とやっていた、というネイティヴ日本語話者はいると思います。
そもそもなぜ、base, origin, rootとbookと細長いものの数え方が同じ「本」という漢字なのか、
私もいまだに知りません。(>え?)
一葉の写真。
太宰治の「人間失格」の冒頭にも出てくる助数詞ですが、
現在では写真を数える場合も1枚2枚ですよね。
一葉と数えることはまずないような?
樋口一枚さん
どうして「一葉」というお名前なのだろう。。。もちろんペンネーム(雅号)ですが。
と思ったら、ウィキペディアに書いてありました。
「一葉」は雅号で、戸籍名は奈津。なつ、夏子とも呼ばれる。「樋口一葉」として知られるが、歌人としては夏子、小説家としては無姓志向の一葉、新聞小説の戯号は浅香のぬま子、春日野しか子として筆名を使い分けている。発表作品においては「樋口夏子」に類する本名系と「一葉」の雅号系に分類される。「樋口一葉」と混合した署名を用いている例はわずか1つであり、「たけくらべ」未定稿などにおいて「一葉」と記された署名に別人の手により姓が書き加えられているケースがある。明治前半期の女性作家においては家への抵抗や姓の変遷などから同様に姓の忌避や創作世界においては雅号を用いるといった署名傾向があり、一葉にも女戸主としての意識が強くあったとも考えられている。一葉という筆名は、当時困窮していた事(お足が無い)と一枚の葦の葉の舟に乗って中国へ渡り後に手足を失った達磨の逸話に引っ掛けたものである。
ということは、ひょっとしたら達磨さんが乗っていた舟が「一葉」で数えないような立派なものだったら、「一隻」とかだったのかも。あるいは“近ごろの人たち”のように何でも「個」で数えていたら「一個」。
文字通り「葉」ですよね。写真よりは使いますよ、たぶん。
しかし「葉」は「むしろないほうが望ましい」とまで思えないのですが?
別のものと間違って混乱することもないですし(…樋口一葉と間違えるぐらいしか思いつかない)、味わいもありますから。
個人的には写真を「一葉、二葉」で数える方には尻尾を振ってついていきたいのですが、
焼き増し(プリント)の枚数はどうしましょうと問うたときに
「いちよーでいいかな、いや、やっぱりによーにしてもらおうかな、いちおー」
と言われたらちょっとわかりづらいかも、と思います。
「いちまいでいいかな、いや、やっぱりにまいにしてもらおうかな、いちおー」
の伝わりやすさと比べてしまうと、「むしろないほうが」に傾きます。うーむ。
妙にツボにはまる言い回しです(笑)
なるほど、音だとあるんですね、いちおー。たしかに「枚」の方が便利そうです。
ふと思ったのですが「枚数」はありますが「葉数」はないですよね。一葉、二葉までは目にします、しかし三葉から先は端と見ない気がします。あと、百葉、一千葉、一万葉(いちおー、『万葉集』の「万葉」は表記法のことなので、違う語です)などの大量の数は違和感があります。
これって「枚」とは用法が違う言葉なんじゃないでしょうか。つまり「葉」とは少数しか数えられない「枚」、いや少数を数えるのに適した「枚」なのではないかと。
あと、「葉」は折り曲げられていない一枚の紙という形状を意味しますよね。大事なものって感じがいいと思いますけど、多少、不便でも。
※ちなみに焼き増しプリントされる写真は、私は「枚」でいいと思いますが…
いちおー調べてみたのですが、確かに「葉数」は、一般的にはないみたいですね(「葉数」というと、一般には、植物の葉の枚数を言うことになるみたいです)。写真などの注文数をいうときに、表の項目で「葉数」というのはあるかもしれませんけれども。
> 「葉」は折り曲げられていない一枚の紙という形状を意味しますよね。大事なものって感じがいいと思いますけど、多少、不便でも。
個人的に、まさにその「大事なもの」感が好きなのかもしれません。ここまで来ると、単に好みの問題ですね。
「葉」について、手元の『新明解』を見てみました。
木の葉や、紙・写真・地図・絵など薄くてひろがりのあるものを算えるときにも用いられる
あと、小舟でも使いません? 「波間に浮かぶ、一葉の小舟」。
> ※ちなみに焼き増しプリントされる写真は、私は「枚」でいいと思いますが…
外務省ではパスポートの写真も「一葉」だったり。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4062631946/ref=dp_imag...
というか、自分自身、写真は枚でなくて葉で数えています。
「むしろなくなってほしい」というものは、このスレッドにぶら下げてください。