日本語の数助詞(「紙が一枚」の「枚」、「二棟のアパート」の「棟」など)で、「これはないと困る」というものはどんなのがありますか? 逆に、「これはなくてもいい」、「むしろないほうが望ましい」といったものは?
……というテーマで雑談しましょう。師走の気ぜわしいときにまったりと。委細コメント欄参照。
参考資料:
「ちょっと便利帳 ものの数え方・助数詞」
http://www.benricho.org/kazu/a.html
関連質問:
http://q.hatena.ne.jp/1197162694/
http://q.hatena.ne.jp/1197293595/
10デシリットル=1リットルなんて、算数でしか使わない。
500ミリリットルは何デシリットル、とか考えないですよね。
余談ですが、milli- と deci- は、英語のボキャビルでけっこう活躍します。
最近聞かなくなった。
チョコレートの商品名では聞きますが、単位としてはあんまり聞かないですね。
「ダース dozen」は英→日翻訳するときにめんどくさいし(dozens of ... とか)
もう「12個」、「24個」、「36個」でいいですよね。
たぶん関係ないのですが、そういえば先日、こんな質問を見ました。
http://q.hatena.ne.jp/1195695065
先日ニュースで、皇室に柿を「72個」献上する云々という話があったのですが、この72という数字にはどんな意味があるのでしょうか?何故72個なの?
回答は「6ダース」説、「18個入りの箱が4箱」説、「24個入りの箱が3箱」説……。
細長い形状のものを数える「一本、二本」は、「一個、二個」で代用可能です。たぶん。
そうするといろいろと細かいところで不便だったり、
気分的に無味乾燥になったりする部分もあるかと思いますが、
試験的に、一年に一日くらいは「一本、二本」を使わない日、というのをやっても
実生活上は困らないような気がしなくはないです。
むしろ「一本、二本」を断つくらいストイックになることがあってもよいかもしれません。
箪笥の一竿二竿、竿なんかでもう運んでないし。
烏賊の一杯二杯、蝶の一頭ニ頭。使う機会がほぼ無い。
>使う機会がほぼ無い
そういったモノを数えていないので使う機会がないだけでは?
個人的に使う機会がないということと、助数詞の要不要はあまり関係しないと思いますよ。
むしろ、その数え方の成り立ちで妥当かどうかを考えるべきではないのかな?
使用頻度で云うと「箪笥」や「烏賊」という漢字自体要らないってことになりますが…まあ、それはまた別の話なわけで。
質問者が「なくてもいいのでは?」としか括ってませんし、別にいいのではないでしょうかね、個人が思う要不要で。ど頭に【まったり雑談】って書いてることですし。
それより「成り立ちから考えて妥当かどうか」、この切り口だと助数詞について、どういったことが考えられるのか、それが気になります。
「羽」はウサギをトリ肉として食べたいがための口実から作られたものですよね。成り立ちから考えてみて、現在でも「羽」とすることは妥当なのでしょうか?
私はウサギを「羽」と数えても、ウサギをトリだと勘違いする人などいないでしょうから、あってもいいかなぁ…なんてゆるく考えているのですが。
なんにせよ「羽」にしろ「杯」にしろ、言葉のルーツに拘りさえ持たなければ、あっても無くても別に変わらないレベルだとは思います。とりあえず「これはなくてもいいんじゃね?」という、くだけたお題には合ってる気がします。
英語で、"jail" という語の別の綴りである "gaol" についての「いる、いらない」論争を連想しました。
http://dictionary.reference.com/search?q=gaol
私は英語はあくまでも外国語ですから、そういう論争に居合わせたとしても、「そういう語があります」と言われれば「ヘエーそうですか」といって覚えるだけなのですが(あるいは右から左に受け流すだけなのですが)、「いやー、どっちでもよくね? そう書けと強制されているわけでもないのだし」という意見もありつつ、「自分の母語は英語、そして私は母語を完全に把握している」という意識が強い人は「そんなのは『英語』ではない」として大演説、ということがありまして。
いくら「雑談」でも話が噛み合わなさすぎですね、ご容赦。
母国語話者だからこそまっさらな新しい視点で母国語を見る目は必要ですよね。なにより楽しいし。
私は外国人に日本語を教えていたことがあるのですが、普段疑問に思わないことを質問されるので新しい感覚に気づくことができました。
ところで、「updation」という言葉が英語かどうかという議論を見かけたことがあります。ネット上で。
私は「どーでもよくね?」と思いましたけどね(笑
> 「updation」という言葉が英語かどうかという議論
それは心底どーでもよいのですが(笑)、ヘタレなわたくしは翻訳をするときに辞書を引いて載ってないと困るので、Oxford English Dictionaryの関係者のみなさまをはじめとする辞書編纂者のみなさまがたにおかれましては、よろしくご検討いただけることを願います。あるいはUrban DictionaryやWiki系辞書の投稿者のどなたかでも。
と思っていたら載っていた。さすがはUrban Dictionaryさん。
http://www.urbandictionary.com/define.php?term=Updation
Indianなんですね。
http://www.vsubhash.com/die.asp?word=updation
議論も見つけました。
http://forum.java.sun.com/thread.jspa?threadID=627633&start=30&t...
下記でお茶吹きました。
"I updation therefore I am." No, "updation" sounds like a noun.
# 雑談の極み。
はてなブックマークからおもしろい記事を読みました。
英語とは誰の言葉か 形を変え続けて広まる英語――フィナンシャル・タイムズ
http://news.goo.ne.jp/article/ft/world/ft-20071130-01.html
http://news.goo.ne.jp/article/ft/world/ft-20071130-02.html
世界共通語が英語だというのは分かったが、それはいったい誰のバージョンの英語なのか、ということになる。英語を母国語とするネイティブ・スピーカーと、外国語として英語を使う非ネイティブ・スピーカーの比率は今や1対3。ネイティブの3倍もの人が外国語して英語を使っているのだ。これからさらに何百万という人たちが新たに英語を勉強し始めるに連れて、この比率の開きはどんどん大きくなる。
実際に今や、英語を使って交わされる会話の大半は、非ネイティブ・スピーカー同士のものだとグラドル氏は言う。さらに言えば、ビジネス会議を英語で行う場合、英語ネイティブがいない方が、やり取りはスムースに進むようだという。
↑引用箇所がちょっと的外れかもしれませんが。
私も海外で日本語が共通語の職場にいましたが、自分の日本語がどんどん変化していきました。たとえるなら「sを抜く」みたいな感じの日本語に。
でも一番ウケたのは
たとえばあるオーストリア人銀行家は教授に対して、「(英語を使って)ギリシャやロシアやデンマークの仕事相手と話をする方が簡単だ。けれどもアイルランド人が電話してくると、意思疎通はとてもややこしくて、くたびれる」と話したという。
私の場合:
普段あんまり英語を話さない私でも、お酒の席ではリラックスして会話が弾むんです。でも、アイルランド人と飲むときは別です。とたんに自分の英語力のなさに気が付いて落ち込みます。いっそのことパプアニューギニア人とサシで飲んだほうが心が通じる気がします。
歴史の中でしかまったく聞かないこの単位。今の世の中では要らないと思います。直感的に加賀100万石と言われてもパッとしません。なので要らないと思います。
お米の単位だというのは勉強して知っていますが、この助数詞を知る前は、石(いし)の単位だと思っていました。つまりお城には城壁がありますよね?100万個の石でできた城壁であれば、さぞ大きなお城で、それだけ巨万の財を持っていたというそういう発想しか当時はできませんでした。
百万石は「ひゃくまんごく」と濁りますけど、元の形は一石、二石は「いっこく、にこく」と濁りません。
ちなみに「加賀百万石」の「石」は、土地の生産性(田畑は勿論、屋敷などの価値も含む)を米の生産量で換算したものなので、実際に加賀で米が百万石とれるわけではありません。昔の石川県は米が沢山とれたんだ…という勘違いだけは避けたいところです。
>巨万の財を持っていた
現在では正直、これが伝わっていればOKですよね。金持ちの殿様がいたんだなぁってくらいでいいと思います。知っていても時代劇を見る時くらいしか役立ちませんし。
まあ、「加賀百万石」は今でも石川県の大事なキャッチコピーですから、「石」が消されてしまうと多少なりとも石川県の観光協会の方などは困るとは思いますけども、他にはさほど影響はでないでしょうね。日常会話で米の単位について語り合うこともないですから。
キーを打ったら「こく」で「石」が出なくて、「いし」としたら「医師」とか「意思」とかが出てきて、きーもうめんどくさいわね、でコピペしたんですが、ネイティヴ日本語スピーカーの私が「石」は「こく」であり「ごく」ではないということをスルーしているようではいけません。反省。
私は日本で生まれ育って、四捨五入すれば40年ですが、
「石(ごく)」は観光パンフレットやテレビドラマの宣伝の「加賀百万石」か、
学校の歴史の授業で「○万石の大名」でしか聞いたことがありません。
そして実は、
> 100万個の石でできた城壁であれば、さぞ大きなお城で、
> それだけ巨万の財を持っていたというそういう発想しか当時はできませんでした。
私も小学校のときに、社会科見学で訪れた郷土資料館で話をうかがうまでは、
同じ思い込みをしていました。(^^)
でもそのことによって損も得もしていません。たぶん。
さて、今から「石(ごく)」を廃止するにしても、
1)今は使われていないので無駄の極み、
2)今から過去にさかのぼって修正するのは歴史修正主義であり危険、
の二つの問題点があるため、なかなか難しいと思います。
個人的には、それより英国のミンス・パイ法を廃止してほしいです。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2308340/2323089
無くなれば当然助数詞も不用になります。
箪笥は危ないですね。寂しいですが。
そういえば「クローゼット」という呼び方が増えつつあるような。
もちろん「箪笥」と「クローゼット」は構造面で違いもあるかもしれませんが、
和服の箪笥(和箪笥)と、スーツなどの洋服の箪笥(洋箪笥)とがあって、
前者は着物とともに、「一般家庭の日常生活」からは消えつつありますね。
ところで「クローゼット」も「一棹、二棹」で数えるんでしょうか。
「これはなくてもいいんじゃね?」というものは、このスレッドにぶら下げてください。