当時のいわゆる「ディスコ事情」を知りたいです。
例えば
●どれほどの過熱ぶりだったのか!?(○万人来場とか、行列ができていたとか、ディスコから流行が生まれた、など)
●日本国内に何軒ぐらいあった!?
●当時のディスコの客層は!?
●「踊れないとモテない」的なコトもあったのか!?
などなど、知りたいです。
当時のディスコ事情を分かりやすく説明してくれているサイト、記事などありましたら
よろしく御願いします!
http://www.officej1.com/bubble/kinpika1.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A...
●当時のディスコの客層は!?・・・10代~40代ぐらいまでいたと思いますよ
●「踊れないとモテない」的なコトもあったのか!?・・・踊りがうまくて容姿がいいと
やはり目は引きますし その当時人気の曲とか流れるとどっとみんな踊りに入っていましたね
バブル時代、北は北海道から南は沖縄、さらにハワイまで進出し、最盛期には全国61店舗を数え全国制覇を成し遂げました。
ちなみに「麻布十番店」オープン当初の売り上げは月間7000万円、86年にマハラジャの高級店としてオープンした「キング&クイーン」は1億2000万円の売り上げを記録したそうです。
86年と言えばバブル景気が始まった年ですが、それにしても凄すぎますね・・・。
2003年から見た「ジュリアナ東京」
僕は1982年生まれだから、ジュリアナ全盛期のころはまだ小学生だったということになる。だから、「ジュリアナ」という言葉から連想されるものといえば例えば「ボディコン」だったり「バブル」だったり、「チャ~ンチャ~ンチャンチャンチャン♪」というあのフレーズだったりする。
きらびやかで、みんな楽しそうで、やたら豪華で、その一方少し淫靡なその「ジュリアナ」という響きは、私の妄想上では大きく膨れ上がり、遂にはこんな文章まで書くに至ってしまった。
しかし、その一方では、ジュリアナの音楽性や文化というものに対して、その時代を通過していないだけ幾分かの先入観なく見ることが出来るのではないかと思った。
そこで、この仇花のやうに散っていった「ジュリアナ」を、文化性と音楽性の双方から再度見直そうぢゃあなゐか。という次第なのです。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Renge/5083/ongaku/juliana.h...
http://blog.goo.ne.jp/dsrdsr3887-3/1
札幌のディスコ全盛期、釈迦曼陀羅が頂点だった頃、少しだけ南洋っぽい雰囲気もあり、
釈迦曼に比べ少し明るい感じのディスコがオープンした。
名前は「テレサガリレオ」
12月だったと思います。プレオープンに呼ばれた私は早めに入場しスタッフと談笑をしてました。
非常階段から外を見るとオープン時間には何と猛吹雪・・・
続々来るお客さんは長靴・・・
鉄製のスパイクが付いている長靴って最近本当に見ませんがその日はたくさんの人が履いてました。
フロアはアクリル張り、カチャカチャという音の鳴り響くステップ・・・
次の日の本オープンの日はフロアは傷だらけで悲惨でした・・・
でも毎日混んでました!
今、思い出してもわくわくします。
ありがとうございます!
10代でも入れたんですね。実際、今のクラブって踊らない人も多いと思うんですけど、踊る人が大半だったのかもしれませんね。
参考になります。