私は基本的に小説というものを読みません。
理由は、①表現が回りくどい、②ある程度読んでつまらないと思った作品だと、それまでの時間が無駄に感じる③立ち読みして面白そうなのか全く判断がつかず、買う(借りる)機会がないからです。
例外として、歴史小説・自叙伝・ノンフィクションといった事実に基づくもの(知的好奇心を充たしてくれる)、シドニーシェルダン(表現が簡単、すぐ読める、単純に面白い)は大好きです。
小説が好きな方、嫌いな方はこんな私をどう思いますか?(好きな方は上記①~③の理由についてどう思われますか?)
又、小説を読むことでパーソナリティーに与えるものって何だとおもわれますか?(例えば感情表現が豊になる等)
最後に、「この一冊はお薦め」というのがあれば、是非、ご紹介願います。愚問ですいませんが。
小説、私も最近あまり読みません。もっとも、理由はsannnoseさんと違います。「ちょっと一息つけるようなときに落ち着いて読みたいから」「ほかに読まなきゃならない本や読みたい本が山ほどあるから」というものです。
ご提示の①②についてですが、troubleさんが書かれていることに同感です。
知識系の本だと「つまらないけどこの部分だけは参考になる」ということがあるので、途中で投げ出しにくい。結局、時間的に無駄の多い読書になるわけです。読書につきものの多少の無駄は、ある主の投資と考えてみてはどうでしょうか?
書かれた言葉を丹念に追っていくときの迂回感には、生活のなかで体験させられる「まわりくどい感じ」と同質なものもあります。しかし、対象が「じっくりつきあっていく価値のある言葉」であれば、時間的な損失は問題ではない。そんな言葉と出会えるといいですね。
「架空の他人の体験を言葉でシミュレーションする」という形式自体がまわりくどく思えるときには、小説どころか芝居も劇映画も時間の無駄みたいに思えます。音楽でも、物語性のつよい歌詞はうざったくなります。そういう感覚なら、非常によくわかります。
読書体験によるパーソナリティの変化…「感情表現が豊かになる」というのは、ちょっと違いますね。たしかに、自分や他人の感情を受けとめる力は育つと思います。でも、実際に喋ったり書いたりしてみないと、表現する力には結びつかないでしょう。知識獲得を中心とした読書についても同じようなことがいえると思います。
③については、立ち読みしてもダメなら、身の回りの小説好きな人にたずねてみるのが早道では。私は、長年本を読んできたせいで嗅覚が発達しているのでしょうか、それとも鈍感なだけでしょうか。「時間の無駄だった」という体験は最近ほとんどありません。
おすすめは別の場所にリスト化してあります。名前に聞き覚えのある作家、気になるタイトルなどがあれば、どれでも一冊どうぞ。