※注 他人を批判するときは、主張そのものや「その人」を攻撃するのではなくて、「その主張」の理由、前提などを攻撃してください。議論の基本です。
というのが、精神疾患だとすれば、医療が必要なのであって、殺す必要はないでしょう。
警察や、医療機関によって適切に対処してもらうことができる状況にない場合では、上記に書いた「自分が殺されそうになったから」という理由で自分を正当化できるという意味の殺していい理由になるかもしれませんが、殺すまでしてしまうと、過剰防衛のような気もします。
ただ、自分が殺されそうになった場合はともかく、大切な人が殺されたりしたら、いいか悪いかとか、精神疾患がどうとかは関係なく、自分で復讐するかもしれません。
何故なら、生命保存/生きる為の本能に基づいた手段であり行為であるから。
人間皆様々な欲求を抱えた上抑えて生きてるので自己の欲求を満たす為の殺人行為(=生命保存に直接結びつかない)を容認してしまうとなんでもアリになっちゃうなー
「自分が生きるために最低限の人間を確保すれば」ということは、新たな共存共栄のテリトリー(ニュアンスは異なるかもしれませんが、他の方が「共同体」と書いてましたね)を構築することになり、そのテリトリーには新たなルールが存在することになります。
自分が生きるために最低限必要な人間(仮に賛同者としましょう)だけを残したとしても、その賛同者から気に食わない人、自分のルールに合わない人を殺してしまえば、最終的に賛同者が居なくなってしまうでしょう。
殺しても良い理由に
共存共栄のルールが破られるとき、人は「他人を殺してもよい」です。
と書きましたが、人を殺すということは、共同体から抜ける、他の共同体へ移るということになると思うので、元の共同体(上記のツッコミだと皆殺しで存在しませんが・・・)からみれば、テリトリを侵される、脅威であり、殺しても良い対象になってしまうと思います。
人を殺しても良い状況の行き着く先がテロや戦争だと思いますが、
他のテリトリを侵したことで、自分のテリトリが侵されやすくなり、その結果、生きるために不利な状況になってしまうのでは無いでしょうか?。
様々な人間や社会が殺人に対して様々なアプローチをとっていた。
時が流れ、殺人を基本的に禁忌とした共同体が台頭し、そうでない
共同体は基本的に滅んでいった。
それと生物学的に考えても、人間くらいの大型種族は、
同種同士での殺害に対し強い本能的な抵抗感を獲得しておかないと、
絶滅する確率が高まると思います。
お互いに助かりたいという人が多ければパニック状態にならないはず。ということは、やはり他人のことはどうでも良いと考える人が多いのでしょうね。パニック状態で気付いたら生きていたという人に比べ、他人の事をどうでも良いと考える人は、自分の生存後について考える余裕があると思います。緊急避難時に犠牲者を押しのけて助かった生存者を責めることは出来ませんが、生存者は事実を知る人達の中で生きていくのが辛いでしょう。人を殺してはならない理由は「自分が死にたくなければ、人を(殺意を持って)殺してはならない。」と、より狭義に訂正します。
おかしい人や、復讐などで自分を殺そうとする人がいるかもしれません。こういう場合でも、殺してはだめですか?
自分がされて嫌なことは、人にしてはいけないと教えています。
なので、殺されたくないと思う人がほとんどであれば、殺してはいけないということになるのでは?
精神状態によっては、死にたいと思う人もいますが、それは、その苦痛な状況から助けて欲しいという思いの裏返しだと思うので、殺して欲しいという人に対してその裏の意味を読まずに殺してあげるというのは、短絡的。殺していい理由にはならないと思います。
殺していい理由があるとすれば。。。大切な人を殺されたから。自分が殺されそうになったから。というのであれば、自分自身の気持ちを正当化できる気がします。
共同体のルールに従うという視点から、仮想的な事例で考えてみます。そして、論点をずらします。
かつての欧米諸国では、一時的に白人が黒人を殺してもよいという規範もあったかと思います。たとえば、黒人が白人に対して何か約束を破ったとかの場合。
さて、その時代の中で黒人として存在するして、
1,その白人を中心とする共同体におり、
2,「白人→黒人○、黒人→白人×」というルール
がある場合、
黒人が白人を殺したとき、その共同体のルールに反するので、その共同体からは許容はされない行為となりますね。
とすると、黒人自らの選択としては、
1,逃げる。
1-1,逃げて、黒人の共同体を作り、白人を殺してもよいというルールを作り白人を殺す。
1-2,逃げて、黒人の共同体を作るが、白人を殺してもよいというルールは作らず、復讐しない。
2、共同体の中でルール違反をして革命を起こしてルールを変えるまで白人を殺す
3,忍耐する
のいずれかになります。
そして、1-1と2の場合は白人を殺すことになるわけですが、この場合の黒人は
「因果応報、復讐のため」という理由を持ちだすかと思います。
この場合、この当事者以外の国などや、白人の子孫が
「お前達は、よくないことをやった」
と言うかもしれませんが、この場合、どういう理由をつけて当事者以外の国などは黒人を非難するのでしょう。
何か説得的な理由があったら、教えてください。
その前に、
のような場合、多くの人が「自分は死にたくないし、他人も死なせたくない」と考えるでしょう
について、異論です。
そのような極限状態であれば、「自分は死にたくないが、全く知らない他人はどうでもいい」と考えるひとがあるいは多いかと思いませんか。とはいっても、結局いずれにせよ、不作為になるわけですが…。
そして、不作為の殺人であった場合、見捨てた人に対して「あんたひどいじゃないか」と責めることはできない、というわけですね。
理由はないかもしれませんが…
それでは、殺してもよいという人に対して、絶対説得はできませんね。
殺してはいけないものは殺してはいけないのです。
牛や豚など人間が食している動物は動物として見られていないのですか? 殺してはいけないのは人間が口にしない動物(イヌやネコ等)だけなのでしょうか
そのような場合、多くの人が「自分は死にたくないし、他人も死なせたくない」と考えるでしょう。生存者が犠牲者を殺したとは言えないと思います。「殺す」の定義を「殺したいと思って殺す」と「殺したくないと思いながら結果的に死なせる」に分けなければなりません。
この場合は、価値観と価値観のぶつかり合いになってしまうので、「良い」「悪い」では答えられないのでは。例えば、白人による黒人への差別(かつては虐殺もあった)がなくなったのは「我々は人間という点で同じ仲間である(=同じ共同体に属している)」と気が付いたからですよね。
まあ、そうですね。
しかし、「俺、人に殺されてもいいですよ」と思っている人がいるとします。その人にはこの論理は必ずしも通じないと思いますが、どのように説得しますか。
やらなきゃ、やられるということですね。
この場合、相手の戦力が問題となるかと思います。たとえば、素手で投降してきた敵は、自分が殺される可能性は低いですが、この場合敵を殺してもよい理由は「素手であっても、戦場ではやられるかもしれないから」殺しても許容されるということになるのでしょうか。
人を殺してはならない理由:多くの人は生きたいと思い、他の人にも生きて欲しいと思うから。自分が死にたくなければ、人を殺してはならない。
タイタニック号が沈没したとき、救助ボートが足りませんでしたが、他の人をかきわけて自分が助かることは結果的に他人を殺すことになります。緊急避難37条になりますが、この事例の場合、生きたいと思っている人を殺すことになりますが、どのような理由で許容できるといえますか。
確かに。
しかし、全く逆の結論を持つ、(殺人肯定、否定)の共同体がぶつかったとか、交わったときに、肯定派が否定派を殺していいとは必ずしもいえないかと思います。仮に、否定派を殺してもよいとするとどのような理由があるでしょうか。
心を持っていてその心は考える力を持っていて喜怒哀楽…
とすると、このような能力を持たなくなったといえる状態の、植物状態の人を殺してはいけない理由は?どうなりますか。
死を選んだ人を止めることができる唯一の人間はその人の人生の全てに責任を持てる人だけです。死を止められた人間にとっては、その後の人生において苦難がある度に、あの時止められなければ…という思いに取り憑かれるでしょう。それでもまた死ねる人は良いですが、多くの人は再び死を選ぶことを躊躇してしまいます。死を選ぶにも大変なエネルギーが必要なのです。止める側が相手の面倒を一生みることができるのか、その覚悟はあるのか、それが重要です。ただ助けてハイさよならでは虫が良すぎるのです。自己満足な行動では人は救えません。