お釈迦様の体得した悟りは、所を日本に移せば、修験道や神道における禊のようなものかもしれません。文明的なものを、禊ぎ、祓い、清めて、1匹の生物になりきる。言葉のない世界を生きる。
悟りと禊ぎは、同じものだから、天台宗では今でも千日回峯行が尊ばれるし、禅宗は言語を使うなというわけです。
さて、このように禊ぎや悟りを理解したときに、言語以前の人間の心や感情と、言語が生まれた後に形成される意識とを、別々のものとして扱うことが望ましいと思います。言語以前と言語以後とをうまく言い表す言葉を教えてください。
(ひとり一回だけにしますので、ご自身の言いたいことを、要点を明確にわかりやすく書き込みお願いします。)
お書きになられたことを理解できている自信はありません。
しかし、1と2として理解するのは、言語による意識が生まれて、もうひとつ世界が増えたということかもしれないと思いました。
複雑系(complex)についてサンタフェ研究所が行なった議論を思い出します。
この複雑系を表すcomplexは、そのまま複素数のcomplexと同一であり、すなわち虚数部分が加わったという意味にとればよいのかもしれませんね。
つまり、人間の意識は、虚部であるということになるでしょうか。
「情報理論の父であるクロード・シャノンが指摘したように、厳密に数学的な意味でのみ情報は定義することが可能であり、それは純粋な符号化とメッセージ伝送の物理学に限られる。
したがって我々が意味や内包として理解しているものとはまったく無縁なのである。
このために、サンタフェ研究所のゲルマンたちは、日常的に用いられている意味を表わす言葉として「複雑系」という用語を提案したのである。これまでのところ、複雑系を数学的に表現しようとするすべての試みは失敗している。」
ハンス・ノル
以前と以後に世界を分けて考えるって、なんか宇宙が生まれるプロセスにも似てる気がするんですよね。
「有」の世界 2(n)=2n (有意識、認知の拡大)
ちなみに「無」の世界 1(n)=1n