一応、こんな和訳ですかねぇ。
真実が進行中である。いまや何ものもそれを止めることはできない
真実というのは、誰にも止めることはできない。
「真実に限り、誰にも止められず、突き進む」、ということでしょうか。
凄く意味が深い言葉だと思いますよ。
すいませんm(_ _)m出典まではわかりません。
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quintia ●85ポイント ベストアンサー |
とりえあず検索してみて分かったことを書き連ねます。
"Truth is on the march; nothing can stop it now."は出典がフランスの新聞フィガロ紙とありますので、これは英訳であって元はフランス語であったことは分かります。
Google翻訳やフランス語辞書などから、元の言葉は"La vérité est en marche et rien ne l'arrêtera"であることが分かりました。
このフランス文にzolaなどを付け加えて検索をかけてみます。
J'accuse…!
という文書に関する言及に行き当たります。
>”J’ACCUSE ...!” EMILE ZOLA, ALFRED DREYFUS - Professor Wilkes - University of Georgia School of Law
J’accuse - Wikipedia, the free encyclopedia
そしてここからドレフュス事件というものが出てきます。さいわいにこれについては日本語Wikipediaにも記述がありました。
ドレフュス事件 - Wikipedia
その翌々日の1898年1月13日号の新聞「オーロール」は、一面に「私は弾劾する」という大見出しで、作家のエミール・ゾラによる大統領フェリックス・フォール宛ての公開質問状を掲載した。
もちろんフランス版Wikipediaの記事の方が記述は多いし、正確でしょう。フランス語は読めないのですが、Zola や Dreyfus の固有名詞を頼りにドレフュス事件に関するリンクを辿っていくと、ずばり、"ドレフュス事件におけるエミール・ゾラ"という項目にあたります。
Émile Zola dans l’affaire Dreyfus - Wikipédia
marche や figaro といった語でページ検索したり、Google翻訳などを併用すると、ご質問の文章をフィガロ紙へ載せたのは1897年12月25日のようだということが分かりました。
オーロール紙に「私は弾劾する(J'accuse…!)」を載せる1898年1月13日より前ですね。
日本語版Wikipediaのドレフュス事件の項を読むと、
1896年、情報部長に着任したピカール中佐は、真犯人はハンガリー生まれのフェルディナン・ヴァルザン・エステルアジ少佐であることを突き止めた。しかし、軍上層部は、軍の権威失墜を恐れてもみ消しを図り、ピカールを脅して左遷、形式的な裁判でエステルアジを「無罪」とし釈放した。
とあり、この2日後にオーロール紙に「私は弾劾する(J'accuse…!)」を載せることになります。
フィガロ紙に"La vérité est en marche et rien ne l'arrêtera"という言葉を載せた1897年の時点で、エミール・ゾラ氏が事件についてどの程度のことを知っていたか、というのはこれだけでは明確ではないですが、
という事件に対しての言葉であったことは分かります。
(軍がどのようにねじまげて発表しようとも)「真実」は「世界で起こっていること」の中にあり、その真実自体は何者にも(=軍部であろうとも)ねじまげることはできない。
というような意図だったろうと思います。