神通川は富山県を流れる川ですが、その流域に安養坊(あんようぼう)という地名があります。
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この安養坊は安寧坊と言ったようです。
http://www.city.toyama.toyama.jp/etc/muse/tayori/tayori51/tayori51.htm
中世には安養坊(あんようぼう)、現在の富山市民俗民芸村の辺りから越えたと考えられています。木曾義仲(きそよしなか)の先発隊として加賀に派遣された今井兼平(かねひら)も、安養坊の八幡社で戦勝祈願を行なっています。また、現在五福にある長光寺は、元々は呉服山安寧坊と号し、安養坊(安寧坊)で大伽藍を誇っていたといいます。
あんねん坊とは現在、富山市の安養坊という地名、もしくは五福にある長光寺のことだと思います。
http://www.goodlucktoyama.jp/yuuran/yomimono/0608GL-toyama-shiseki.pdf
長光寺はもと真言宗の寺院で呉服山安寧坊と称した。
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a-kuma3 ベストアンサー |
質問の文章は、田中貢太郎の「放生津物語」からとったものだと思いますが、
元になっているのは、堀麦水の「三州奇談」正編巻五「妬気成霊」でしょう。
http://www.geocities.jp/hesoraku/main/bakemono2/kaika_other.html
神通川の辺り、あんねん坊の麓にある、
越中婦負郡呉服村には、
(現在の富山県富山市の一部)
ぶらり火という燐火が出る。
「呉服」は「くれは」で、現在の「呉羽丘陵」の辺りです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E7%BE%BD%E4%B8%98%E9%99%B5
「呉羽」は一帯の地名で、呉服部(くれはとりべ)にちなむものである。
http://gogen-allguide.com/ko/gofuku.html
【呉服の語源・由来】
古代中国の「呉」の国から伝来した織り方によって作られた織物のことをいった。
しかし、単に「呉の服」の意味から、「呉服」になったわけではない。
古く、呉服は「くれはとり」といった。
麓(ふもと)とあるので、あんねん坊は山を指すのかな、という気もしたんですが、
お寺さんがある場所の名前で、お寺さんを呼ぶことも多いので、SALINGER さんが
書かれているように「呉服山安寧坊」を指すんでしょうね、きっと。
同じことを書いただけだと、つまらないので、オマケを二つほど。
ひとつ目は、「三州奇談」。
堀麦水の「三州奇談」の一部は、↓で読めます。
http://home.att.ne.jp/red/sronin/koten.htm
ふたつ目は、ちょっとうさんくさいネタ。
http://www.geocities.jp/une_gen/LegendsInSouthNoto-4.htm
このモーゼの墓がなぜここにあるかというと、富山県の竹内家が代々守ってきた「竹内文書」という古文書に、次のように記されていることが根拠のようです。それによると、モーゼはシナイ山に登ったあと天浮舟(UFO?)に乗り、能登宝達山に飛来し、ここで「十戒」を授かったそうです。そして天皇の娘大室姫と結婚したモーゼはその後、538歳までをこの能登宝達で過ごし、三ツ子塚に葬られたと記されているそうです。
http://spiritualmother.blog104.fc2.com/blog-entry-4.html
モーゼは583歳の時、宝達山で亡くなっている。
遺体は宝達山ネボ谷に葬り、後に富山県呉羽山の安ネボ山にも分骨したそうです。
http://ameblo.jp/littlekanako/entry-11254119730.html
モーゼは日本と結構関わりありますね、
で葺不合朝70代、神心伝物部天皇即位75年9月8日、能登宝達宮において583歳をもって宝達山ネボ山谷に葬られ、分骨して越中の呉羽山の安念坊に葬られた。
いやいや、モーゼって...
# うさんくささは、ちょっとどころではないですね ><
http://www.goodlucktoyama.jp/yuuran/yomimono/0608GL-toyama-shiseki.pdf
最初の回答では 触れてないようなので補足します。
富山市五福にある長光寺のことです。
この長光寺には
境内には佐々成政の愛妾・早百合姫の墓が残されている。
とあります。
まさしく ぶらり火の登場人物が 出てきていることから
そのお寺であることは 間違いないと 思われます。
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