人生が失敗かどうかを判定する関数 f を以下のように定義してやれば矛盾無く命題を真に出来る気がします。
(※数学的な表現方法は忘れてしまったので意味は適当に汲みとって下さい…)
この f(T) を使うと、その人の人生が成功か失敗かは f(生まれてから死ぬまで) で表せます。具体化してイメージすると↓こんな感じです。
g(生まれてから死ぬまで)
= ( 6年*f(幼年期?幼少期) + 6年*f(小学校6年間) + 3年*f(中学3年間)
+ 3年*f(高校3年間) + 4年*f(大学4年間) + 5年*f(独身期間)
+ 20年*f(結婚生活) + 10年*f(堕落した日々) +10年*f(老後)
) / 生まれてから死ぬまで
= (6+6+0+0+0+0+20+0+10)/72
= 0.583333333
この人の成功閾値が、S1=0.5、S2=1 だった場合、0.5<0.58333<1 が成り立つので、f(生まれてから死ぬまで) は 1 となり、幸せな人生だったと言えます。
S1,S2の値や人生期間の分割の仕方はどう変えてもOKです。当然分割の仕方やそれぞれの成否判定の閾値の取り方によっては同じその人の人生でも失敗だったかどうかの判定(見方)が変わってきます。ですが、それは見方の問題であって命題に矛盾することはおこらない思います。
ポイントは「g(T) < 1」が f(T) が 1 になる条件に入ってるところですね。
類似の問題で「(子供は)叱らないと勉強しない」という有名な問題があります。
この命題に対する単純な対偶は「(子供は)勉強したら叱られる」となってしまいます。リンクにある通り、時間経過を考慮していないからおかしなことになるのであって、全く同じことであると考えます。
「人生に失敗がないと人生に失敗する」この意味は人生の中で失敗がないと最終的な評価として人生は失敗となる。といった意味ですから、対偶も
「人生の成功者は若い頃に失敗している」
となります。
I穂「それB美に言われたわけ? なら『人生に失敗がある』っていいたいんでしょ。その場合は『人生に失敗がないと人生に失敗する』は正しいことになるんだから」
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たけじん ●25ポイント ベストアンサー |
人生に失敗がないと人生に失敗する
の「人生に失敗」部分が同じとする。
では、ほかの部分である「がない」と「する」はほぼ同等の言葉に置き換えてもOKとする。
「がない」を「が見えない」とか、「が存在しないと思う」に、
「する」を「していることになる」とか、「してしまう」に変換する
とすれば、
「人生に失敗が見えないと、人生に失敗していることになる」
「人生に失敗が存在しないと思うと、人生に失敗してしまう」
無いが客観なのか主観なのかという、命題以前の次元に落としてしまっていますが、日本語の解釈が含まれる文なので、命題に変換する時点で、手心を加える余地があります。
数学的解釈のみに落とせる命題に変換すると、包含か示唆になり、どちらも元の文を十分に説明できていません。
日本語文を「ガチガチ」の論理に当てはめるのは、日本語が膠着語のため、困難な場合があるのです。