上はヨーロッパのリゾートの変容です。比べる材料になると思います。日本の軽井沢とかいった保養地の変容については、地理教育学の寺本潔さんにそういう論文があったように思います。でも、昭和あたりまでだったかなあ。月刊「地理」って雑誌には、保養地、海外体験、秘密基地などといった、地理的な空間を考える新傾向の論文が毎回ででいるので、ヒントになるものが見つかるかもしれません。たぶん、地理教育学などでよく扱うテーマです。
<1.西洋人は何故軽井沢を訪れたのか。
軽井沢が夏の別荘保養地として認知
されるようになってから約120
年。キリスト教布教のため来日した
宣教師が、軽井沢を訪れたのがその
始まりでした。>
というのはかなり知られていると思うんですが、高原をいいなと思ったのは、日本人というより西洋人ですよね。高原といえば西洋人という発想がまずあって、オルゴールとか色付きガラスなどは、私たちはファンシーグッズにしか見えないですが、最初は、西洋人のもの、って感じだったんじゃないでしょうか?
http://nh.kanagawa-museum.jp/tobira/7-3/uchida.html
自然科学のとびら7巻3号―生命の星・地球博物館
箱根も西洋人御用達ですので同様じゃないかと思います。
http://www.js.yamanashi.ac.jp/~skita/kiyo.html
清里高原開発 Development of Kiyosato Hiland
清里のペンションブームの経緯と衰退について書かれており、「ファンシー化」の参考になると思います。
「高度成長期からオイルショックへと時代の変化の中で温泉旅館のデラックス化とペンションの流行の波がくる。さらに清里は中央自動車道の建設、開通によって東京と関西の両面から格好の観光地となった。そこでペンション開発ラッシュがくる。若い人が集まる。駅前の喫茶店や牧場がコミック誌に載る。女性週刊誌の特集に載る。などの効果が高原観光地清里の爆発的発展になり、年間入込客数は 100万人を越え、 200万人へ近づく。」
博物館などを作る側の心理としては、商売より、地域文化をつくりたい、ということもあるようです。
「博物館を商売としてやるのではなく、オルゴールから地域文化を生み出すためにやっているのだという。オルゴールは全ての人が手に入れることができる芸術文化であり、清里の人々が地域文化を生み出す素材としてうってつけなのかもしれない。」
この本に清里の例が書いてありました。
牧場など日本離れした景観→「メルヘンチック」というイメージで若い女性向け雑誌に紹介→呼応して西洋風の外観の建物が増加、だそうです。
1070年から80年代にかけてなので、質問者さんのお考えもおながち間違っていないかもしれません。
http://www.bekkoame.ne.jp/~hissar/uchida-sem/teacher.html
404 Error - Not Found
軽井沢に関しては、寺本潔さんではなく内田順文さんという方が研究されています。
地理教育学は子どもの行動・場所認知に関する研究が主なので、どちらかと言えば文化地理学ではないかと思います。
すごく興味深い回答ありがとうございました。
どうもありがとうございます!個人的には高原リゾートが発展した時期と、ロマンチックラブコメ少女漫画のブームが重なっていたのでそれもあるのかと思っていましたが・・・