(ちなみに私は野球好きの部類です。否定的な疑問ではありません)
野球が普及し始めた明治の頃も、どちらかといえばヨーロッパと縁が深かったわけですし、サッカーやラグビーが広まっててもおかしくはないと思います。
日英同盟もあったことですし。
正岡子規の影響力もあるとは思いますが、一俳人の力だけで根付いた、というほど単純でもない気もします。
何か、よっぽど日本人の気質に合うものがあったのでしょうか?
「これは」と思えるものがなかなか見つからず、ここで聞いてみようと思った次第です。
皆さんご意見あれば、お願いいたします。
ベースボールが伝わった当時、日本の学校では今日の「体育」にあたる授業がなかったという。また、当時行われていた運動といえば、柔道、剣道を始めとする武道、陸上競技や漕艇などの速さを競うルールの分かりやすい競技だけであった。
一本の棒と一つの球さえあれば、つたないながらも競技として成立するから、ルールさえ理解できれば誰にでもチャレンジすることができた。
当時のエリート高、打倒外国勢力、和魂洋才を目指していた一高(開成学校の後東京大学となったときの予備門が改称して一高となる)に最初に伝わり、猛練習の中で武道的要素が現れてくることになる。その中でベースボールはもはや遊戯ではなく、勝利を追及し、勝利のためには如何なる努力も惜しんではならないものとなった。ベースボール自体、チームへの忠誠、個人の名誉、勇気など新渡戸稲造の言う武士道に通じやすい要素は多かったから、こういう思想に向かうのはごく自然の流れであったかもしれない。
一高生は国内最強の名を求めて、また日本チームを代表して世界レベルのアメリカ人との対戦を望んだ。1896年、断然強いと思われていた横浜外人倶楽部(アマチュアクラブとも呼ばれる)に勝利。この勝利の意義を考えてみると、一つには一高が国内最強の地位に君臨(日本人最強ではなく)すること。そしてそれよりも重要なのは体格で劣る日本人が勝利への執念(精神)で外国人チームに勝ったということだろう。後者は彼等が築いてきた精神の野球が実証されたと捉えられるからだ。一高の影響を受け、それまで主に高校程度以上の学校で行われていた野球も中学にまで広がりを見せる。一高で大人気を博したのだから中学の校長達ももろ手をあげて野球を歓迎したはずである。
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