http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0907&f=column_0907_038.shtml
中国を含め、海外で「謝る」ということはすなわち、何らかの補償をする責任が生じることになるようです。
日本では、「すみません」と謝っても、それからどうするかは別の話という認識がほとんどですからね。
もっとも、世界中で日本人ほど安易に詫びる人達も少ない訳で、どこに標準を置くかという問題かもしれません。(後ほど書きますが謝るのが良いとも言い切れません)
海外では、【 謝る(すいません)=責任を認める(自分が悪かった)=補償(じゃあどう責任を取ってくれるんだ)】、 こういう流れが普通の話。謝るという事は実際の利害が絡むという事です。
よって、明確な傾向として、中国人の彼らは非があっても謝ろうとはしないし、言い訳と責任のなすりつけによって、自分の責任を逃れようとする場合が圧倒的に多いという事になります。
(中略)
結局の所中国では(他の多くの国でも同様です)謝罪と補償はパックであり、上に書いた様に利害が必ずついて回る訳です。それに対して、日本だけが違うのは何故かと言えば、日本では残念ながら、謝罪と実態責任が一体でなく、世界的な視野から見れば、責任を取らない文化だからという事になります。
孔子の直系第75代目の子孫の孔健さんは、「“謝罪”から見る日中のお詫び文化の違い」と題した記事を中国のブログサイトに発表しました。
その中で、日本人と中国人の「お詫び」に対する文化は次のような違いがあると述べています。
日本人の「お詫び」は自分のメンツを保つ方法の1つとなっている。日本では許しを乞うことでその人のイメージや尊厳を回復させることができるのだ。少し前に鳩山由紀夫首相が母親からの違法な政治献金問題で、記者会見を開き、国民に謝罪した。これこそが自らの罪を一掃させる最良の方法で、こうすることで国民の許しが得られる。だが、中国人にしてみれば、一国の首相たる者が国民に謝罪をするなど到底理解できない。
中国人にとって謝ることは、メンツを失う行為である。例え自らの過ちを分かっていても、絶対に謝らない。中国人にとって謝罪とは、勝ち負けそのもの。謝ってしまったら負けなのだ。例えば、数年前に瀋陽の日本領事館で北朝鮮人が駆け込みをはかった際、中国の武装警官が敷地内に無断で足を踏み入れた事件があった。この時、日本側に謝罪を求められた中国側は頑として謝らなかった。中国人はこれを日本への勝利だとし、大いに自己満足に浸ったのである。
日本の福島原発事故で、誰も責任を取っていないことに世界中が驚いています。責任者を特定して責任を取らせるようすもありません。
日本以外の外国では、謝罪するということは責任を認めることを意味します。
日本の江戸時代には、責任者が謝罪するときには切腹していました。
日本で、謝罪しても責任を取らなくなったのは、いろいろ考えられますが:
などが原因でしょうか。
世界で最も親日的な外国人の一人である台湾の李登輝氏に関連するサイトで、以下のような記事を見つけました。筆者は日本人です。
http://ritouki-aichi.sblo.jp/article/40654090.html
「わが国(日本)は、世界でも類例のない「謝罪文化」の国であり、相手の身になって考え、誠意を示すことが、人間関係を丸く収めるやり方だと教えられて来た。
しかし、残念ながらこれは、日本という“小さな村社会”だけの話であって、世界では通用しない。欧米や諸外国では一度でも謝罪してしまえば、非を認めたとして、一生補償問題が付きまとう。
欧米はもとより諸外国では、一度「すみません」という言葉を使ったら、それは相手に対して全責任を負うということだ。彼らが自分の城を守るという概念と警戒心が強いのは、謝罪とは未来永劫にわたって責任を負うというルールが前提にあるからである。」
「その点、わが国(日本)が持つ謝罪の習性は世界から見ればのんきな極楽とんぼと言っても過言ではなかろう。わが国(日本)は企業が何か問題を起こした場合、決して開き直ったり、反論することはない。社長以下、報道陣のカメラに向かって「申し訳ありません」「ご迷惑をおかけしました」と平身低頭して詫びれば、それ以上咎めることもなく一件落着となる。
死亡事故を起こした場合も同様で、社長自らが遺族のもとに香典を持参し、仏前で涙を見せるような姿を見せれば遺族もそれ以上謝罪を要求することはしない。これはわが国(日本)ならではの社会通念である。
もし、わが国(日本)の謝罪通念を外国で行えばどうなるのか。既に述べた通り、相手が非を認めたとして巨額の損害賠償を求められるのがオチだ。それゆえ、諸外国ではたとえ人を殺したとしても、仮に決定的に近い証拠があったとしても自ら謝罪することは全面降伏となる。」
http://chinaacchi.com/p54.html
日本>自分に非があることを謝罪するというより、その後のコミュニケーションを円滑にするための一言
中国>謝るという罪を認める行為
ちょっと違いますかね。
日本>謝る事でとりあえず終わらせようとする事なかれ主義
中国>謝る=敗北
なぜ日本人はとりあえず謝るのか―「ゆるし」と「はずし」の世間論 (PHP新書)
些細などうでもいいことでは、
中国での人でも日本の人でも謝るという行為にそんなに違いはありませんよ。
謙虚と卑屈の感覚の差もあるので、確かにその場合でも微妙な差はあります。
■中国の人の謝る
欧米標準、大陸系の人に多い謝るです
謝るというのは責任がある場合にのみ謝るというスタンスです。
責任がある場合というよりかは、責任を取る覚悟がある場合だけ、謝るというスタンスです。
非があってもなくても、責任を取りたくない場合は、謝らない
■日本の人の謝る
日本の人の謝るは、おはようございますと同じくあいさつの一部みたいなものです。
1.責任の所在関係なくとりあえず謝る
2.謝っても、責任を取るとは限らない
謝罪はするが、気持ちだけですという場合もOKなのです
コメント(1件)
同じ中国人だからかばっているわけではありません。私がこのように答える理由はひとつ、中国には「謝る」という文化がないからです。中国人っていうのは傲慢な民族だなあ、なんて思わないでください。単に日本人のような謝り方をする文化がないということなのです。
「神様や親、年配の親戚の以外、決してひざまずいてはいけない」という中国人の強い意識のあらわれなのです。このひざまずくことと同じような意味で、人前で頭を下げるという行為も中国人的にはNG。