「平仮名の作文、『八つ』を『はちつ』=国語力低下、教師9割が実感-岩波書店調査」という12月8日の報道記事で、「数え方を知らずに、何でも『個』とする児童がいたという」とあるのを読んで、「自分も含め、大人が何でも『個』にしていることもあるかも」とふと思ったので、質問してみることにしました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071208-00000048-jij-soci
私が耳にしたのは、確か社会人になってから、ここ10年の間くらいですねか。
最初はへぇーと思いましたが、今では馴染んでしまいました。。。
単に生活年齢というだけでなく、学年とか年次を比べたり、先輩後輩関係に
ついて語る文脈で使われている気がします。
周囲の20代~30代前半の人の間で通用しています。
> 学年とか年次を比べたり、先輩後輩関係について語る文脈で使われている気がします。
別のレスで「1980年代にはあったような記憶がある」と書きましたが、年代についてはあやふやであるとしても、確かに、こういう場合に使っていました。それも互いに「タメ口」で話せるような場合に限って。(私がそれを経験しているのは、地域としては東京です。)
多少でもフォーマルな場(「です・ます」の敬体で話をする場合。例えば上司との話の場合、親の友人との話の場合など)では、「一個上、二個上」ではなく、「一歳上、二歳上」または「ひとつ上、ふたつ上」。
……という感じです。学生時代からそれを使っていた人が、年齢が上がって、年齢が下の人たち相手でも「一個上、二個上」を使って一般化している、という可能性もあるかなあ、とちょっと思っています。
なお、今年の5月に、「元々は地域など限られた範囲で使われていた言い回しが広く使われるようになり、『標準語』のようなものとなった」ということについての新聞記事が出ていましたが、それについてダイアリ(下記)でメモしてありますので、ご関心がおありの方はご覧ください。
実は私にはこれは違和感ありません。地域や年代の問題かもしれませんが(私は非常に大まかに1980年代以降は東京です)、80年代の後半には、身の回りで、誰かが私より年齢が上・下であるということを言うときに「一個、二個」を使っていた記憶はあるのです。「○○さんは私より一個上だ」、「二個下のいとこが受験だ」など。
ただしこの言い方は身内で「タメ口」が許される場合に限り、しかも年齢の幅がそんなに大きくない場合(せいぜい4、5まで?)にしか使っていないと思います。
ちなみに私は30±の年齢です。
あまり丁寧な響きではないのでかしこまった場所では絶対に言いませんが、まぁ普通の会話であれば言いますね。特に学生時代は年齢について話すことが多いし、年齢が重要なファクターだったので必然的に頻出単語となり、「さい」という長い音節よりも「こ」の方が好まれたのかもしれません。
「一個上」(というより「1コ上」と書きたい)って確かに響きが軽くて、
身内のタメ口で好まれそうですよね。
「一歳上(いっさいうえ)」より「一つ上(ひとつうえ)」、
さらに軽いのが「一個上(いっこうえ)」、って感じでしょうか。
同じ歳の人の事を「同級生」と呼んだりします、全く同じ学校、クラスにいたわけでも無いのに!まぁ・・・100歩譲って同期生までは許せますが・・・。反省しましょう。
同い年の人を同級生と呼ぶのはうちのオヤジですね(むしろ「あいつとオレは同級だ」なんて使い方します)。私は言いませんが、ちょっと違和感ありですね。
しかしまぁ、よほど嫌いなご様子ですね。うちのオヤジにも反省するように伝えておきます。
聞きかじったことなんですが、「同級生」の「級」は「学級」の「級」(英語でいうclass)と、「等級」の「級」の二通りの意味で解釈されて、それで「同級生」が「同級の生徒」(英語でいうclassmate)と「同学年の生徒」になったようです。
国語辞典を見れば書いてあるのではないかと思います(何年か前に私もそれを辞書で引いて確認した記憶があります)。でもいつからそういう用法になったのか、というのは書いてなかったかも。って、今ここで辞書を見ればいいんですけど、サボります。
まぁ、こんな機会があったので書かせてもらいました、ご指摘のように、本来間違いを正すべき年齢、人が率先して間違った言葉を使っているのはどうしたものか?と思う次第です。
「言葉の間違い」は一筋縄では始末のつかぬ曲者でありますなぁ。うーむ。
> 「言葉の間違い」は一筋縄では始末のつかぬ曲者でありますなぁ。
まったく同感です。地域差、方言差、年代による違い、そのほかいろいろな要因があり、「何が正しいか」はふだん人が思っているほど確固たるものではないです。いくつか「おかしいと感じられるもの」や、「明らかに誤用と考えられるもの」はあるにしても(例えば「延々と続く草原」を「永遠と続く草原」としている例、など)。
個人的には、「何でも『個』で数える」という現象が「国語力」(すなわち言語運用力だと思いますが)を取り沙汰するのに適した現象だとは思いません。せいぜいが「語彙力」の問題ではないかと思います。
何時からですか??一歳を一個二個と数えるようになったのは!!一歳二歳でしょうが!私はしません。